1期生の加藤(旧姓白土)由理です。
2015年1月、ちょっと不調かなあと何気なく訪れた地元のクリニックでがんの宣告を受けました。検査を進めると、子宮頸がんステージ4B。既に手術は手遅れで、5年生存率平均10数%という深刻な状況でした。
窮地に陥った場合、どんな対応を取るかは人によって違います。ひたすら自分だけで解決を目指し、他人に弱みを見せないことで自分自身を強く保てる人、必ず理解をしてくれる家族や親しい人だけに打ち明ける人、開けっ広げに現状を伝えて、できるだけ多くの人に応援してもらう人、等々。
がんに直面した私は、多くの人に応援してもらう、を選びました。
自分の病状をFacebookで伝え、日々の体調や治療、心の揺れなどをblogに書き込みました。そうすることによって友人、知人のサポートを得るだけでなく、自分の気持ちの整理をしていた面もあります。
すると、どうでしょう。あり得ないくらいに多くの支えと応援を惜しみなくいただくことになったのです。
皮切りは、入院した当日。その日は東京マラソンの開催日で、ゴール間近を走っている人たちが病室から見えました。小雨が降る肌寒い日で、ランナーたちの応援をしながらも、走っている健常な人たちと自分は別世界にいるなあと感じざるを得ませんでした。
そこへ、ICUHS同期の友人が「やあ!」ってやってきたのです。とてもフルマラソンを走り終えた直後とは思えない颯爽とした足取りで。「途中苦しくなっても由理にエールを送るために頑張らなきゃと思ったら、信じられないくらい力が湧いていいタイムが出たよ、ありがとう」ですって。42.195km走ってしんどいはずなのに、こちらこそありがとうです。
そのとき私はとてつもないパワーを受け取った気がして、翌日からの治療に向けて力が出てきたのをよく憶えています。
次の日から始まった治療は過酷で、放射線は月~金まで毎日、抗がん剤は週一ですが副作用のクスリも入れるので週に3日は12時間くらい点滴に繋がれて約2か月過ごしました。途中からは副作用も出始め、中には辛い治療もあってなかなか苦しかったのですが、私にはとてつもない応援団が組まれていて、毎日毎日驚くほど多くの友人がお見舞いに訪れてくれていました。あまり多数になると入りきれないし、病人の私が疲れるからと、親しい友人がスケジュール管理をしていたほど。
病院のデイルームと呼ばれる広い面会室はテーブルをくっつけ、イスを寄せて、まるで高校時代のラウンジ状態。日々抗がん剤で味覚が変わっていた私が希望するものをデパ地下を走り回って買ってきてくれるので、病院食には見向きもせずに美味しいものをラウンジでキャアキャア笑いながら食べて過ごしていました。
入院途中個室に移ってからは、毎日ベッド横で食事を食べている人やソファでお昼寝する人、仕事帰りの飲み会の待ち合わせ場所にも使われていたなあ(笑) 私の旧姓しかわからず、廊下で大きな声で由理?と呼んだ人や病室をデコレートする人、地方から新幹線で日帰りで会いに来てくれる人、数日の一時帰国の貴重な時間をお見舞いに費やしてくれた人などもいました。
おかげで闘病中だというのに、いつも笑いに溢れていて、暖かい幸せを感じることができたのです。
大きな病院ですが、看護師さんに「これだけお見舞い客が多い人は政治家以外で初めてです」と驚かれたのは、もしかしたらちょっと嫌味もあったのかもしれないけれど、私にとっては自慢で、とてつもない褒め言葉として受け止めています。
これを読んでくださる多くの同窓生同様、私は小学校5年間、中学校3年間を海外で過ごしたので、日本に暮らす友人の多くは高校で出会いました。つまり、もちろん大人になってからの友人らもお見舞いに来てくれていましたが、上に書いたような常道を逸するような面会人の大半は元ICUHS生。
そして、彼らこそが私の元気の源でした。
実際「笑い」がこれだけ病に効果があるとは驚きです。治療後約半年でがん細胞は消えました。その後体調のアップダウンがありますが、再発、転移はしていません。
主治医は「たまにいるんですよ、こういう風に元気になる患者さん。自分たちはもちろん最善の治療を施すけれど、効果が出ない人もいる。奇跡とは言わないけれど、何が違うかはよくわからない。ずっとこの調子で頑張ってください。普段医者は大丈夫っていう言葉は使わないのだけど、由理さんを見ていると、このまま年月が過ぎていく気がするなあ」と言っています。
私はICUHSで友人と言うよりも、家族に近い存在を得たと思っています。何か起こっても必ず助けてくれる、万が一私が罪を犯しても理解してくれて見放さないと信じられる安心感。「頑張って」じゃなくて、「一緒に頑張ろう」って言ってくれるから頑張れるのです。
Friendship is a single soul dwelling in two bodies.
Without friends no one would choose to live, though he had all other goods.
Aristotle 384-322B.C.
1期 加藤(白土)由理