Q1. ICU高校で教えるようになって何年経ちますか? また、もしよろしければ、母校で教鞭を取ることになった経緯、もしくは理由を教えてください。

A:今年度が5年目になります。2015年3月に定年退職された有馬平吉先生の後任として、同年4月に着任しました。92年に高校(12期生・一般生)、96年にICUをそれぞれ卒業(40期生)後、会社勤務を経て、海外(タイ・イギリス・シンガポール)の大学で現地の学生に、また、国内の大学や企業で留学生や外国人社員の方に対して、15年ほど日本語教師として働いていました。高校の「キリスト教概論」の授業でキリスト教に興味を持ち、大学在学中にクリスチャンになったのですが、教育機関で教え続けることと牧師として働くことを考えるようになり、神学校での学びを経て、母校に戻ることとなりました。

Q2. ICU高校の教員になって一番驚いたことは何ですか?

A:正直、驚いたことはあまりないのですが…「あぁ、在校時もこんな感じだったな」と、ICU高校の国際的・多様な雰囲気を思い出したのと、社会人として海外で10年弱生活していたのが理由かもしれません。強いて言えば、恩師が同僚になったこと、特に、1年生のとき担任だった原かおり先生が現在教頭でいらっしゃることが「驚き」でしょうか(昔の写真を取り出して思い出話が始まったり(笑))。

Q3. 生徒だったときと教員になってからではICU高校の印象は違いますか?もし違うとすればどんなところですか?

A:高校の、というより、生徒に対する印象なのですが…現在の高校生にとっては、スマートホンなどの電子機器があることが当たり前で、情報の収集方法やコミュニケーションの取り方などに違いを感じます。検索で簡単に調べ物ができる、海外にいる家族とテレビ電話で会話ができる、行ったことがない場所を疑似体験できる、などの利点がある一方、自分の世界が画面の中に限定されがちなのかな、と。高校のキャンパスで、キンモクセイの香りで季節の移り変わりに気づく、一面降り積もった雪を手に取って冷たさを感じるなど、五感をもっと働かせてみることや、恋愛や人間関係を築くことの難しさを味わうなど、青年期ならではの「人間性」を考え体験する機会を逃さないでほしいな、と思います。

Q4. 高校時代に所属していたクラブは? また、何か印象的な思い出があったら教えてください。また、現在顧問をしているクラブがあれば教えてください。

A:在校時は陸上部で、夏は400m、冬は駅伝大会出場のため長距離を走っていました。体育祭のスウェーデンリレーで、3年生の300mが陸上部対決になったり、ロードレース前の体育の授業で、事前に「放課後また走るから、ある程度手を抜こう」と他の部員と話していた割に、実際走り始めるとお互いムキになって本気のレースになったり…現在は、ダンス部の顧問をしています。私が生徒だった時代、ダンス部には女子しかいませんでしたが、現在は男子も在籍していて、活躍を期待しています。

Q5. 今後の抱負をお聞かせください。仕事面でも、プライベートなことでも結構です。

A:授業や学校生活の面では、「人間とは何か」という問いを、生徒・教職員に考えてもらう機会をもっと作りたいですね。科学技術、特にAIの発達によって、今後ますます「人間のあり方」が問われていくと思います。AIが、自分にとってベストの就職先、結婚相手を選んでくれるような社会になったら…人間が、自分の意志で選ぶ、ということの意味はどうなってしまうのか。悩みや葛藤も含めて、「生身の人間しかできないこと」とは何なのか。キリスト教は、これからの時代にますます、「人間とは何か」「どのように生きるのか」「なぜ生きるのか」という問いを投げかけ、また答えを模索する手がかりになるのでは、と思います。プライベートでは、娘2人(2019年10月現在、2歳8か月と6か月)の成長に、毎日驚かされています。語学教師だったこと、また現在の仕事の内容から、言語習得の進み具合や、善悪の概念の発達を、身近に観察して感心しています(嘘のつき方を習ったことがないのに、子どもはどうやって嘘がつけるようになるのか…?)妻と子どもと、家族4人で成長していくことが抱負です。

Q6. 同期生や同窓会会員全体に向けて、メッセージをお願いします。

A:在校生の保護者とお話ししていると、卒業生の方だったり、同級生であったりすることがしばしばあります。ICU高校の教育の素晴らしさは、(これは「キリスト教概論」の授業が特にそうだと思うのですが)「一生涯かけても答えが出ないような、それでいて、問い続けなければならない、大きな『問い』を立て、問い続けること」ことにあると思うのですが…卒業しても、何歳になっても、在校生と一緒にこのような「問い」を、悩みつつ問い続けていければな、と思います。