2,3年生の時に同じクラスだったさきからバトンを受け取りました。32期の鈴木淑です。
私はハンドボール部とバドミントン部を兼部していたのですが、さきとはバド部でも一緒でした。彼女との思い出で一番最初に思い出したのは私がシングルスの試合に出場した時のことです。明日からは定期テスト期間というタイミングだったにも関わらず、快く引率を引き受けてくれて、あの真っ直ぐな眼差しで応援してくれた彼女の姿を思い出しました。あの時は本当にありがとう!

高校での思い出は書き切れないほどありますが、入学して間もない頃に一番衝撃を受けたのは、くしゃみをした時に当然のようにbless you.と言われた時のことです。久しく耳にしていなかったその言葉に、日本ではない場所に来てしまったと一瞬フリーズしてしまいました。オランダで生まれ、小学校2年生から日本で過ごしている私は、中学校までは英語ができる子でしたが、高校入学後は自分の得意な言語は日本語であるという事実を認識する、ICUHSでは典型的な隠れ帰国でした。

得意な科目、好きな科目は高校入学前には大体把握していたと思いますが、高校で出会えて良かった!と思った科目は地理です。(日野先生、当時は何となく恥ずかしくて面と向かってお伝えしたことはなかったかと思いますが、先生の授業を毎回楽しみにしていました!)
確か地理は選択制だったと記憶していますが、当初から強い熱意があった訳ではなく、「お父さんは高校生の時、面白いと思ったよ」という父の一言を受けての選択でした。この選択は日本にはない地形や気候を体験してみたいと思うきっかけとなり、行ってみたいと思う場所が指数関数的に増えました。例えば一口に砂漠といっても、でき方に複数のパターンがあることや、岩、礫、砂と粒の大きさも様々なことを知りました。サラサラの砂で構成されている砂砂漠は、死ぬまでに絶対に見るぞ!誓い、今年のGWに訪れたモロッコのサハラ砂漠で念願を果たしました。他にもまだまだ行きたい場所が多すぎて当分死ねません。

数学の松本先生は授業中、本当に生き生きとされていて、黒板の端から端へ小走りで、最後の1/4くらいは滑って移動されることもありました。そんな松本先生の定期テストにはいつも表紙がついており、「しけん」の手書きのタイトルと共に、数百字ほどの読み物がありました(入試で会話文形式の数学を経験しているので、最初は問題文の一部だと思い、試験開始直後に全力で読み込みました)。読み物の内容は毎回異なりましたが、数Ⅱの期末試験は「教育について(一九三六年)」というアインシュタインの講演からの抜粋で、その一番最後には手書きで
「教育とは学校で習ったことを全て忘れた後になお、残る何かである。」
と、添えられていました。私が思うその「何か」を的確に表現できる単語は私の語彙の中には見つかりませんが、それは学びや思考に対する愉悦、物事を処理する能力や柔軟性といった類のものではないかと思います。
ICU生は何か面白い人が多い。と感じたことがあるのは私だけではないはずですが、これは国内外での様々な経験に加えて、この「何か」が組み合わさることで、人間的な魅力として放たれているのではないかと思っています。

普段はシステムエンジニアとして働いている私ですが、休日は時折、上野の国立科学博物館で展示の解説などを行うボランティアをしています。小さな恐竜博士の話にひたすら相槌を打ったり、「カエルのこどもはなんでメダカなんですか?」という変化球質問に対応したり、解説を終えた後に幼稚園生から「お姉さん可愛い」という素晴らしい感想を頂いて癒されたりしています。時間帯によっては化石や剥製などの資料を用いて小話を披露していることもあり、先述の「何か」とは全く密度が異なりますが、来館者の方々に面白い!とか、もっと知りたい!と思うきっかけを提供し、その片鱗だけでも誰かに残すことができれば良いなと思っています。
ボランティアには、私の両親よりも祖父母に近い年齢の方々が多く在籍されています。様々な経歴をお持ちの方がいらっしゃいますが、総じてお話が面白く、人生経験も知識量も半端じゃない強者ばかりです。飽くなき探究心を持ち、生き生きとされている姿には尊敬の念を禁じ得ないです。先日迎えた30歳。人間的な魅力に溢れるおばあちゃんへの道のりはまだまだ長いです。