こんにちは、32期の関口悠平です。お散歩ともだちの松枝果林さんからバトンをもらいました。(4文字すべてに木がついている統一感!なんていい名前…!)

32期のエッセイも他の代のエッセイも、みんなそれぞれ違うのが楽しくて、じっくり読んでいます。のびのびとして、お互いの違いを楽しみながら個性を尊重できるICUHSの空気が、社会全体に広がりますように。

「あなたと僕と、記憶と今と。」
関口悠平

僕は、まわりの人たち1人1人がとても好きだ。でも…僕には、記憶力がない。
だからいくら大事な記憶でも、いつの間にか1つ1つ、こぼれていって消えてしまう。

あの人とこんな話をしたなぁ、とか。どこに誰と行ったなぁ、とか。もちろん覚えていることもたくさんあるけれど、ある時ふと、たとえば「あれ、ワカサギ釣りって誰と行ったんだっけ?」と、記憶が不確かなことに気づく。
めちゃめちゃ楽しかったことは覚えているし、忘れたくないことなのに。たぶん、脳の記憶のキャパシティが少なめで、新しいことが入るたびに、いろんなことが押し出されて歯抜けになっていくんだろう。

日常生活や仕事には支障がないレベルだし、記憶が苦手なのは子どものころからなので、今さら驚きはない。小学生の頃にシリーズで買い込んだ青い表紙の探偵小説は、3回読んでも犯人を忘れて、まっさらな気持ちで楽しめた。だから悪いことばかりでもない(と思いたい)。

ただやっかいなのは、一般的に、忘れる=興味がないという解釈になること。言い訳がましいが、僕の場合は、興味の有無に関係なく、なんでも忘れる。特に苦手なのは顔を覚えることで、2~3回会った人でも、街中でふいに遭遇すると「この人とはどこで会ったか」と悩んでしまう。嫌われたくはないので、必死に「覚えてるフリ」で乗り切ろうとしたりもするが、嘘が下手なのでたぶんバレている。そして微妙な空気のなか、その人と別れた5分後に、「今の人、もしかして、話したかったあの人では…?」と気づいて慌てて連絡したりする。あまりに頻繁にそういうことがあるので、いつもドキドキして心臓に悪いし、何より相手に失礼極まりない。「一度会っていれば、顔も名前もすぐわかる」という人が、心底うらやましい。

エッセイリレーを書くにあたって、高校のことを思い出すと、やっぱりあれこれ忘れている。10年やそこらで、十分に記憶が不確かなのだから、年をとって死ぬころには、どれだけのことを忘れてしまうのだろうかと不安になる。

でも、たとえ詳細は忘れてしまっても、Aさんに教えてもらったバンドや映画は今もずっと大好きだし、洋服を選ぶときにはBさんのアドバイスが頭をよぎるし。悩んだ時には、Cさんに言われたことを思い出して、ふと気持ちが楽になったりもする。
きっと経験上、どんなに大事にしていても、いつか多くを忘れてしまうだろうけど。あの時のあの瞬間が、小さな小さなあれこれが、まぎれもなく、今の自分の趣味や価値観、習慣や思考回路として、残っているなぁと思う。それらをきっかけに、さらに好きなものが増えることもあれば、進みたい方向が見つかることもある。

自分を形作っているのはきっと、あの日の出来事や、あの人の一言の集合体。だから僕は、こんなにポンコツで、嫌なところばかりの自分のことを、それでも好きでいられているのだろう。

先日、寝たきりの祖父と話していて気づいたことがある。病床に見舞いに行って、もう一緒に出掛けたりできるほど回復する見込みも薄く…。未来の「あれやりたいね」「これやりたいね」という話があまりできない分、「子どものころに一緒に駅前の喫茶店に行ったね」のような、なんてことない思い出が話題の中心だ。「今考えると、あれが最後の家族旅行だったね、楽しかったね」…。多くの場合、「最後」は知らないうちに通り過ぎている。

あれほど毎日一緒にいたのに、もうずっと会えていない友達。いつの間にか無くなってしまったあのお店のあの味。きっとすでにもう、たくさんの「最後」を経験している。

ある時振り返って、「あれが最後だったね」と懐かしむかもしれないし、そのころには自分はもう、思い出せなくなってしまっているかもしれない。そう気づいてしまうと、人と会うたびに、しつこいくらいに「僕はあなたといる時間が好きだよ」と何度も伝えたくなる。何かあったんじゃないかって心配されるので、ほとんど言わないけれど。

日々、日記に書いたり、写真に撮ったりして、できるだけ1つ1つの記憶をちゃんと残そうとしている。
でもその甲斐むなしく、たとえ自分が全部を忘れてしまっても、自分がいつか死んでしまったあとでも。僕が薦めたあの歌を、どこかの誰かが思い出して口ずさんでいたら、それだけで十分なようにも思う。

結局できるのは、今を大事に、相手を大事に、という当たり前のことくらい。だからせめて、言葉にして、残しておきたい。
僕には、記憶力がない。だからこそ…僕は、まわりの人たち1人1人がとても好きだ。