2度目のアイデンティティクライシス
32期の原光一郎と申します。当時オーケストラ部で一緒だった中村翠さんからバトンを受け取りました。最近仕事のことで色々話すことが多く、同級生が生き生きと自分のやりたいことをやっているのはとても嬉しいです。
今、僕はとある国際ボランティアとしてアフリカの某国でコンピュータ関連の仕事をしています。主に、全国の高等教育機関のIT環境の改善やメンテナンス、研究へのサポートなどを行っています。と言えばまあ聞こえは良いですが、実際は度重なる停電(今年に入ってから毎日昼間14時間は停電しているので、「度重なる」どころではなくもはや”重複”ですが…)でどうにもこうにもいかないことも多く、中々に過酷であり、かつもどかしい日々を送っています。エジソンがいなければフォンノイマンもいなかったでしょうし、電気が無い以上機械は動かないので、こればっかりはどうしようもありません。
来るまではそうはならんだろうと思っていても実際にこうやって異国の地に来て嫌でも考えてしまうのは、自分は一体何者なのか、ということです。道を歩けばジロジロ見られ、時に口に出すのも憚るような言葉を浴びせられたりしてあ、俺ってアジア人なんだなと至極当たり前のことをありありと自覚することもあるし、はたまた全く自分と異なる文化、生活環境や経済状況で生きている人々を目の前にして生活していると、自分は今まで何に重きを置いて生きてきて、これから本当にどうしたいんだろうか、と否応なしに自分を見つめ直すことになるわけです。自分が最も何に価値を見出し、何を楽しいと感じ、何を信じて生きているのか、東京であくせく働いて休日は遊び惚けていた時には考えもしなかった問いに直面します。
実は僕は海外生活がこれが2回目で、その当時も同じようなことを自問していました。帰国後日本の公立中学に入り、帰国生の多くも受けたであろう逆カルチャーショックを受けた末ICU高校への進学を決意したわけですが、その後の高校生活でその問いには一定の答えが出たように思います。というより、ICU高校自体が自分にとって答えでした。常に周りと対話しながら、自分が楽しいと感じることをやり、正しいと思うことを信じて行動すれば良いんだと、伸び伸びと自分らしく生きている周りの素敵な友達を見てはよく思ったものです。そう思えたのはICU高校の自由で活発な空間があってのことだったし、ICU高校のようなコミュニティには高校を卒業してから巡り合うことはありませんでした。ICU高校は僕にとって間違いなく唯一無二の存在です。
さて、僕は今年の12月には任期満了となり帰国することになります。前回の海外生活と違うところは、今回はこの後にICU高校での高校生活は待っていないということです。言い換えるならこんどこそ自力で答えを出す必要がある、ということです。ただ、あんまり心配はしていません。最近高校以来真面目に弾いてなかったバイオリンを引っ張り出してまた演奏し始めたりしていると、不思議と高校生活のことを色々思い出すもので、なんだかんだあの時みたいにやりたいようにやってればハッピーなんじゃないか?と思っています。
アフリカの水を飲んだ者はまたアフリカに帰ってくる、という諺があります。僕は物理的に帰ってくるかはちと怪しいですが、この言葉は僕にとっては、「アフリカで見聞きしたものは何事も、死ぬまでその人を離すことはないだろう」と言っている気がしていて、それは僕自身も例外ではないです。世の中は決してポジティブな物事だけで構成されているのではなく、社会的不正義、既得権益の乱用やあらゆる不平等、公衆衛生上の危機や環境破壊、経済的機会の欠如等、一見不条理で片付けたくなるが、真に解決されるべきグロテスクな問題が山積しています。こうした危機感は、ここでの生活を通して非常に生々しく自分の意識に張り付いてしまったし、それを生身で体験してしまった以上何かせずにはいられない気持ちです。高校の頃の自分を思い出し、信じながら、次の一歩を踏み出したいものです。