「いい人生だった」、そうやってつぶやきつぶやき、自分のそれまでの記憶を辿りながら、できれば好きな人やもののそばで死ぬのがゴールである!と子供の頃から思っていて、私にはわざわざ文字に起こすような大きな夢だとかライフワークがあるわけではないのですが、なんだかんだ、今年30歳になる今に至るまでの毎日が今のところいい人生であるなと、そんな気がしています。

 今回のエッセイについては、忙しさにかまけて「書く」とも「書かない」とも明言しない、人に嫌われる対応を高校時代から仲良しの数人にご披露差し上げていたのですが、いよいよ包囲網も狭まってきましたし、少し時間もできたのでまあ良いだろうと我ながら偉そうに腰を上げ、カフェでアイスコーヒーを飲みながら記憶を解凍してみたところ、ちょっと泣きそうになったというか少し泣いた。解けた記憶のひとつひとつがひかっていて、そのときの自分の感情、悪友の表情、教室の匂いだとかなんだとかがそのまま思い出されるのと、あとは当時無限に感じていた「時間」を思い出したからだと思います。帰国子女は多かったけど、全校生徒数も校舎もミクロだったICU高校、みんな何にも縛られずに実にのびのびとしていた気がする。

 効率なんか、多分一ミリも考えていなかった。授業は受けるけど、好きな歴史と現代文以外の授業は寝るか先生にバレないようにふざけるかだったし、昼休みは本当は急ぐ必要なんてないのに男子みんなで教室から食堂までダッシュしたし、放課後は本当にやることがなくて、ただひたすら教室でだべったり、その時々で一方的に片思いをしていた女子の面影を探したりしたし、飽きたら第一男子寮で昼寝をした後、夕飯を食い、寮の友達と下ネタ談義で盛り上がったり、近所のTSUTAYAでレンタルした映画を見るなどした。

 第一男子寮が楽しかった。なんか色々あって丸坊主デビューをした先輩と同学年の彼らだとか、近所のTSUTAYAR15な漫画雑誌をみんなで買いに行ったり(じゃんけんで負けた購入役は変装してレジに向かい、見事成し遂げた)だとか、テスト前にみんなで学習室で徹夜したりだとか(夜食のカップラーメンを食べてすぐ寝る不勉強なやつばかりだった)、子供と大人のはざまの時期でしか感じられない様々な楽しいがあった。

 そういえば、イケメン制服組は次々と彼女を作り青春を謳歌していた。一方、美容室も知らず、着る服は「ファッションセンターしまむら」のプリントTシャツばかりだった私は、変な格好で、一方的に片思いを繰り返しては悶々としていた。Maroon5とフジファブリックのアルバムCDを善意で貸してくれた女子のことが急に気になり、廻り廻った思考の果てに「あの子は俺のことが実は好きだったために、CDを貸してくれたのである」という自己催眠状態にかかり、さらには放課後、人気のない廊下に連れ出して告白までした(彼女は完全に察していたらしく、凛としてお断りのお返事をくださった)。今でも夢に見るほど美しい思い出である。

 帰国子女ばかりのICU高校、みなさんキャラクターが粒だっていて、出会う一人ひとりが私にとってもはや異文化だった。私もオランダに6年間住んでいた帰国子女だったが日本人学校通いだったので「偏差値の低い一般生」という感じで高校デビューしたのだけれど、この濃い味なICU高校の3年間で様々な異文化に触れることができたおかげで、ようやく海外を知ることができた気が、もはやする。ただ、歴史と現代文ばかりを頑張ったので英語は上達しなかった点が残念です。

 

 今現在、私は映画配給会社に勤めていて、日本の映画やアニメを日本国外に届けて広げて喜んでもらう仕事をしています。英語は未だに上達しなくて悲しいですし、もはやその点はダメなのですが、「自分の好きなモノを届けて、好きになってもらう」仕事には幸福を感じることができる。振り返ると、暇だった高校生活、悪友たちと遊んでいるか、寝るか、食っているか以外の時間はいつからか、自室でひたすらTSUTAYAで借りた映画を何本も見る毎日だった。なんの主体性もなく、ただぼんやりと楽しかった高校生活だったようにも思い返せるけれど、高校生活で好きなものは見つかっていたわけで私の今までの人生においてはとても大切なポイントである。第一男子寮で3年間一緒だった友人が、映画のエンドロールに名前を見つけてわざわざ連絡をくれたときに初めて、当時の僕と現在の僕がリンクしたように感じた。そういえば大学の合格通知を一緒に見て喜んでくれて、某バスケットボール漫画の山王戦ばりに熱いハイタッチをかわしてくれたのも彼だった。僕の結婚式にも来てくれてありがとう。

 徒然なるまま、書きたいことも文章も整理せずに進めてしまったのですが、ちょっと今から書き直すほどのやる気も出てこず申し訳ないです。ICU高校の3年間と、そのあとと、今、この3つをなぞる機会に感謝します。ICU高校の3年間そのものが映画のようだったし、ICU高校のキャラ濃い濃いなみなさんは、全員が映画の主人公のようだった。ICU高校という数百人しか収容できない小さな箱で同じ時間と物語を共有できたことは、映画館で良い映画をみてみんなと感情や記憶を共有した気になれるあの幸福、僕にとってはそれに近い感覚です。

 高校3年生。放課後。31組の教室で、窓から見える中庭の緑と校舎のくすんだ白、空の色は昼と夜の間のオレンジがかった紫色。食堂から香ってくるふにゃふにゃミートソーススパゲティみたいな香りが今も鼻腔を満たす気がするし、たぶん食堂前のベンチでは今はシンガポールにいるらしい彼が期末テストの勉強をしているはず。静かになっていく校舎内で、まだ帰らない悪友たちの笑い声と、親友の彼が奏でるギターの音色、そのさらに遠くには僕にとっては鼻につくネイティブな英語が聞こえる。少し優しくされただけでまた一方的に片思いをしたあの子の存在を背に感じながら、もう寮に帰ろうか、まだ帰るまいか、ただただひたすらぼんやりと、だけどそれなりに真剣に悩み、時間を無限に使って、たぶん可能性も無限大だった、ブランクだらけだけど、極めて密度の濃かった、愛おしきICU高校の毎日よ。この記憶も、これまでの記憶も、今も、これから生まれる新しくてきっと愛おしい記憶も、きっとひかり続けますように。私の人生がICU高校の皆さんとどこかでリンクし続けますように。