3年生で同じクラスだった喜屋武盛斗くんからバトンを受けとりました、32期の中村翠です。最近感じたことをつらつらと綴ってみようと思います。

先日、大学のサークルの集まりに久々に顔を出してみたら、近況報告をする流れになった。自分の番が回ってきて、最近は仕事で日本人をアフリカに連れて行くツアーを企画してる、と話したところ、「まだ卒業してないんかい」とつっこまれた。
たしかにそうだ。思えば、大学生の時も国際交流のボランティア活動に全力を注いでいて、言われてみれば、今やっていることもあまり変わってないのかも。なるほど、「卒業してない」か。他人からは自分はそう見られるのかもしれない。

私はICU高校を卒業した後、大学で国際政治学を専攻した。大学卒業後は学習塾を運営する会社に入り、子どもたちの指導にあたったりした。その後、東京オリンピックの裏方、今はNPOで途上国との人材交流を企画するような仕事をしている。

私の中では、こう見えても軸はあるつもりだ。ロジカルに説明すると長くなるのだけど、一言でいうなら、好き、ワクワクする、と思ったことをやっている。国際政治を専攻に選んだのは、高校で世界史と哲学の面白さに魅了されたからだし、教育業界に進んだのは、教育に関わる仕事が一番自分が本気になれると思ったから。オリンピックや、今のNPOでの仕事も「好き」と「ワクワクする」が軸にある。
でもどうやら、これは世間ではあまり「普通」ではないのかもしれない、とも思う。

ハイ生と会うと、あまりこういうことに気づくことがない。近況を報告すると、変わってるね、も言われないし、すごいね、とも言われない。ただただ、「へー。元気そうでいいじゃん。」で終わる。

今思えば、ICU高校に入って、人生で初めて「あ、自分はこのままでいいんだ」と思えるようになった。それまでは、アメリカと日本で暮らす中で、どこにいても自分の定位置が定まらなくて、宙ぶらりんな状態だった。なんか自分は周りと違うな、このままじゃダメなのかな、頑張って周りに合わせよう、でもやっぱしんどい、みたいな。風が吹くたびに揺れながらブラブラぶら下がってて、ぶら下がり続けるのも辛くなって、どうしようもなくなったこともあった。でも、ICU高校に入ると、自分と同じような経験をしてる人たちがそこにはたくさんいて、「自分は一人じゃない」ことが分かった。それどころか、「別に宙ぶらりんでも良くない?」「一層、紐なんかぶち切って空飛んじゃおうぜ」みたいな人たちがそこにはたくさんいた。そうか、そういう考え方もあるのか。ICU高校は、自由に飛ばせてもらえる青くて広い空、みたいな場所だった。そしてケガだけはしないように見守ってくれる、飛べるようになるための筋トレ法を教えてくれる、先生たちや仲間がいつもそこにいた。

今思うと、ああ、なんて幸せな時間だったんだろう、て思う。そこですくすく育った私たちは、本当に贅沢な体験をさせてもらったな、と。外の世界はこんな風にいつも自由に飛べる環境ではないし、見守ってくれる人がいるわけではない。空を飛ぼうと思ったら、急に嵐に巻き込まれることもあるし、引きずり降ろされそうな時もあるし、そんな時も自力でなんとか生き抜かなければならない。

それでも、自由に空を飛ぶことがいかに楽しいものか、一度味わってしまった私たちは、あの時の自由をまた求めてしまう。だから、今も自分はこうして「卒業できず」にここまで来てしまっているのかもしれない。
永遠に「卒業」できないんじゃないか、と少し不安に思うこの頃だけど、ハイ生たちに会うと「ま、いっか」と安堵してしまう。そして、私はこの居心地の良さが大好きなのだ。

ICU高校みたいな広くて自由に飛べる青い空がもっと外の世界にも広がればいいのに。卒業しても自由に飛ぶことをやめなくてもいい、むしろ歓迎される、そんな世界であってほしい、と思うのは私だけだろうか。夢見すぎなのだろうか。