“一般生あるある”かもしれませんが、ICU高校に入学してまず思ったことは、自分が「英語」だと思って勉強してきた言語は、いったい何語だったのだろうかということです。地元の中学や塾ではそこそこ点が取れていたアレ。アレってなんだったのでしょうか。ICU高校に入ったら「英語が全然できない子」になってしまいました。

自分自身の評価が180度変わり、思春期ということも相まって、「もう二度と英語を話すまい」と固く心に誓いました。劣等感に苛まれ、だいぶひねくれた高校3年間を送ったと記憶しています。

にもかかわらず、進学した先は懲りずにICU。ここで二度目の「もう二度と英語を話すまい」を誓いました。帰国子女ではない、留学経験もない、私とまったく同じ条件で勉強してきた同期の学生たちが、自由自在に英語を使いこなしている姿を見て、私は恥ずかしくて情けなくて、バカ山に穴があったら入りたいと毎日思っていました。

そんな私ですが、大学を卒業するときに旅行した中国にハマり、20代後半で中国語を学ぶため上海に1年間遊学。この1年間は、高校、大学の30倍くらい濃い日々を過ごしたと自負しています。授業の予習、復習はもちろん、現地のラジオを聞き、テレビを見て、新聞を読み、街に出て、友だちを作って話を聞いて、黙っている時間がもったいないとばかりにどんどんしゃべる。「何を言っているかわからない」と店員に笑われて涙をにじませたことは数え切れませんが、それでもしゃべりまくり、就寝中は夢を中国語で見るようになりました。

もちろんたった1年間勉強したくらいではビジネスで使うにはほど遠いレベルです。それでもなにか熱に浮かされていたのでしょう。帰国後、図々しくも中国系の小さな会社に入れてもらい、中国各地の工場とやりとりするようになりました。当時は浅はかながら「ようやくインターナショナルな私になれた」と酔っていたように思います。しかし、諸事情がありこの会社は1年ほどで退社。以降、中国語を使う機会はほぼなく現在に至ります。

あれから20年。あんなに勉強した中国語もほとんど忘れてしまいました。言語を忘れていく感覚は、なんだかとても寂しい。ものすごく親しくしていた友人が、1人去り、2人去り、一緒に過ごした思い出がゆっくりと薄れていくような感覚に似ています。だんだんと色あせ、毎日唱えていた定型句を思い出すのに時間がかかるようになり、たまにふと耳にするととても懐かしい気持ちにかられて、ああ私はそれを口にしていたという確信はあるのだけれど、何を意味するのかわからず胸がしめつけられる。

実を言うと高校時代、英語圏の帰国子女を妬んでいました。大学受験も楽勝じゃん、なんなら就職までイケるじゃん、と。でも、今ならわかります。習得した能力の維持は並大抵のことではないのですね。今となっては私は外国語どころか、縄跳びだって跳べないし、25メートルプールも泳げない。努力し続けなければ、軽々できたことも怖くてできなくなる。若い時は気づきませんでした。

ICU高校数学科著『こんな数学だったら絶対に嫌いにならなかったのに ICU高校数学科の読めば解ける入試問題』(アチーブメント出版)という本が2022年9月に出版されました。私は巻末に掲載されている先生方の座談会の構成をお手伝いさせていただきました。

「読めば解ける」とタイトルに入っていますが、読んでも解けませんでした。「そもそもこれは日本語ですか?」というレベル。こんな問題を生まれてから15年しか経っていない子が解いていたというのだから、我ながらビックリです。

数学に限らず英語だって、15歳の私は今の私よりもずっと理解できていたんです。自尊心がちょっとばかり傷ついたくらいで勉強を放棄するなんてもったいないことをしました。「そんなにいじけなくても、まっすぐに勉強し続けたらいいんだよ」と言ってあげられたらいいのですが。⋯⋯当時の私にではなく、今の私にも、そう言えるようになれたらいいなと、50を前にして思う今日このごろです。

ということで、みなさん、とにかく『こんな数学だったら絶対に嫌いにならなかったのに ICU高校数学科の読めば解ける入試問題』を読んでみてください。本当に驚きますよ!