歌声の美しかった梅垣いづみさん→ダンス部でともに汗を流したキムへみんさんを経て、22期のバトンを受け取った瀬川(旧姓渡辺)瑛子です。二人には高校卒業以来ずっと会っていませんが、エッセイを通じて彼女たちの声や表情がありありと蘇り、懐かしさと同時に、この20年それぞれに悩んだり決断したりしながら今に至っていることに同志のような心強さを覚えもしました。

 いま、私は岩手県の西和賀町という奥羽山脈に囲まれた小さな豪雪の町で、夫とともにカフェとエコツアーの企画運営をやっています。地縁も血縁もないこの町に暮らすきっかけは、2016年に遡ります。  

 それまで東京で10年間転職を繰り返していましたが、心機一転、岩手県花巻市に拠点を持つNPOに就職。『東北食べる通信』という食べもの付き情報誌の発行に携わり、東北中の農家・漁師に会いに行きました。これは、私の価値観を大きく揺さぶる経験でした。

 例えば、初めて乗ったマグロ漁船は衝撃の連続。網にかかったマグロの頭に大きな木槌を振りかざし、次々と神経抜きをしていく腕の太い漁師たち、バタンバタン暴れるマグロ、飛び散る血、真っ赤に染まる甲板、隅でひっそり見ている私たちに投げられた、まだ動くマグロの心臓…。まったく知らなかった世界が目の前に繰り広げられていました。

 その後、自らも鶏を殺めて食べる経験をさせてもらい、命をいただく責任と、これは想像外だったのですが食べた生き物への愛を感じました。食べるという行為について、意識の変わる体験でした。

 また、ムヒカ大統領に似ている、とある農家に「大学を出て農家や漁師になるなんてもったいないって言う人がいるけど、なぜだろう。大学は、社会の役に立つことを教える場所じゃないのか」と言われたことが心に刺さり、この人に恥じない生き方を探そうと思ったのも、移住直後のことでした。

 話し出せばキリがないのですが、嵐をものともせず海に出ていた漁師たちが原発事故のあと漁に出られなくなった理不尽さ(でも腐らず前を向いていた彼らの尊さ。現在は再び本’漁’発揮されているようです)や、すべてを奪っていった津波を逆手にとって「思い込みから自由になった」と語る漁師の物の見方など、生産者の話を聞くたびに、人生について、社会について、自然の摂理について考えさせられ、学びの多い日々でした。

 漠然と、もう東京に戻ってお金のために働いて、必要なものは買えばいいというサラリーマン生活はできないんだろうなと思い始めていた2018年、突然結婚が決まり西和賀町へ移住しました。

 西和賀の第一印象は「ジブリみたい」。市街地から山に向かって車を走らせ、トンネルを抜けると眼前に湖と空が広がります。空気が変わり、ちょっと違う世界に迷い込んでしまったような、ファンタジー映画にでも出てきそうな緑の陰影の濃い自然の景色に、すっかり魅了されました。一方で、「すごく田舎だなぁ」とも(笑)。

 結婚直後は時間がたっぷりとあって、春夏秋冬、西和賀の自然にどっぷりと浸かることができました。春の朝はアカショウビンの声で目覚め、雪解け水で水位の上がった錦秋湖にカヌーで漕ぎ出します。木々が水の中から芽吹き、にぎやかな鳥たちの声につつまれて収穫した山菜で朝食。儚い花をつける野草たちの饗宴は感動モノでした。夏はブナの森に足繁く通い、家の裏の湖に上る満月は東山魁夷の絵にそっくり。実りの秋には天然舞茸を心ゆくまでいただく機会に恵まれ、冬は・・・ひたすら除雪、除雪、また除雪!!

 春には消えてしまう雪と毎日格闘するなんて、なんとも非生産的です。雪のために経済活動がストップしがちでもあります。でもおそらく、その大変過ぎる雪のお陰で、開発から逃れた豊かな自然が残り、昔からの雪国文化の知恵や人同士のつながりがかろうじて残っているようにも思えます。ジブリの風の谷が風に守られているように、西和賀は雪に守られている美しい町です。

 いまは西和賀の魅力を発信し、ファンを増やしたいという思いから、「ネビラキ」という名前でエコツアーガイドをやりつつ、ネビラキカフェという店を経営しています。子どもも生まれ、以前ほど自然の中で遊びまくる時間はありませんが、西和賀暮らしの初期の日々は最高に贅沢であり、この豊かさをシェアすることが私たちの活動の原点にあります。気が向いたら遊びに来てください。

 最後に。結婚式にICUHSで3年間同じクラスだった友人が、高校・大学の友人たちからのメッセージを集めて送ってくれました。もともとマメな性格ではないので、卒業後は連絡が途絶えがちだったのですが、彼女のお陰で、これまでのすべての出会いの素晴らしさ・ありがたさに改めて気づくことができました。長く不義理をしていた私にメッセージを寄せてくれたみんなにも感謝です。