2期生の加山至です。中国(北京・上海)からのキコクです。

 

帰国生と一般生の融合。どんな化学反応があるのかワクワクしながら入学しました。ところが、休み時間になると聞こえてくるのは英語での会話ばかり。「え?え?英語を話せないとキコクじゃないのか?」と思いましたね(笑)。北京からのキコクは私を含めて4人。英語圏に対抗するつもりで中国語で喋ったっけ。そのうえ、「英語が出来ないキコクというより俺は日本人だ!」という”開き直りアイデンティティ”をアピールしたくて、下駄箱の名札の裏に「I am a じゃぱにーず」と書いてみんなに見えるようにしましたねぇ。目立たないほどの小さなアイテムでしたが(笑)。

 

第1男子寮での生活も含めて、とにかく楽しかったなぁ。3年生の3学期。入試時期なので授業はなく学校には週一回の登校日に行けばよいので、寮を出て横浜の実家に戻ってもよかったのですが、とにかく学校が好きだったのでそのまま寮にいました。おまけに推薦で進学が決まっていたので勉強をする必要もなし。誰もいない教室で段ボールを敷いて寝っ転がったりしていました(笑)。ふらふらしている私を見て担任の斉藤数先生が「なんでもいいから本を読め。イタルは雑学をどんどん吸収すればいい。」とアドバイスをくださいました。先生の言う通り図書室で小説、文学、歴史、エッセイ、図鑑、百科事典・・・本屋では漫画雑誌、週刊誌、女性誌、文学誌、経済誌、車やスポーツなどの趣味関連(ちょいお色気もアリ)を買って来ては読み漁りました。そしてなぜか最終的にたどり着いたのが「ドリル」。漢字と、2年生の時に習っていた日本史の復習を兼ね、教室でひとりドリルの解答欄にペンを走らせていました。3年間で頭に一番知識を詰め込んだ時間だったかもしれません・・・って、授業で熱心に教えてくださった先生方に失礼ですね(汗)。

 

卒業後は桜美林大学中国語中国文学科に進学しました。少年時代に現地に住んで体験した中国と、新聞やテレビ報道などで知った中国。両国の外交・政治・社会問題を自分なりに分析・習得したり、大学の先生方とも意見を交わすなど、中国からのキコクとして成長した時期だったと思います。航空会社に就職し中国への出張などを通してさらに身近な国であると意識し始めると同時に、予てより膨らみ始めていた「中国語を喋る俳優になりたい」との思いが強くなり、俳優へと転身しました(加山到という名で活動しています)。俳優活動を始めて30余年。有難いことに中国に関するドラマや映画に出演し、もちろん中国語を話す機会に恵まれました。撮影で北京や上海に降り立った時には感無量でしたね。

 

俳優は様々な人間を演じます。様々な職業を担います。そして様々な時代や場所において生きなければなりません。警官・刑事、サラリーマン、医者、通訳、政府高官、暴徒、江戸、明治、大正、昭和(戦前・戦中・戦後)、平成、令和。役作りのために目を通すのは・・・本。いろいろなジャンルの本を読んで調べるのが楽しいんですよね。もちろん文字を追う事は苦痛ではありません。斉藤先生が下さったアドバイスが今でも役に立っています。

 

カズ先生は元気かなぁ~。