【京都「修学旅行」】

1期生の北島多紀です。
私は会議通訳者という仕事をしています。この高校からならたくさん輩出されそうな職業だけれど実は意外と少なく、私が実際に一緒に仕事をしたことがある同期は4人。もちろん私の知らないところに、または他言語に同業者はいるのだと思いますが。

通訳するという行為に必要なのは主に短期の記憶力。訳出したら、もう次にいかないと間に合わないし次が頭に入ってこない。そんな生活を30数年してきているので、おそらく私の脳の中は短期記憶を司る部位ばかりが発達していて、昔の記憶を貯蔵する部分は小さくなっているのではないかと思っています。だから、高校の修学旅行の記憶も実は断片的。

今月、そんな脳みそを持った(?)通訳者が3名、しかも5人しかいない同業の1期生のうち3名が偶然にも地方出張の仕事で会議を一緒に担当することになったのです。行き先は京都。

通訳者チームのメンバーを知らされたのが1ヶ月ほど前。え!?このメンバー?しかも京都!
即LINEグループがつくられ、仕事が終わったらどうする?延泊する?しよう!
ホテルどうする?こことここ!決定!(←延泊2泊)etc.etc.
仕事の相談はそっちのけでそのあとの予定がテキパキと決定されていきました。

コロナ禍でオンライン会議の通訳ばかりを強いられてきた通訳業界も、外国人がリアル来日できるようになり現場に赴いての業務が少しずつ増えてきていましたが、出張は久しぶり。PCR検査を受けるなどそれなりの手続きをふんだ上で京都に乗り込み、まずは前座、ではなかったメインイベントの仕事を3日間粛々とこなします。

個々には何度も一緒に仕事をしてきた3人ですが、3人でチームを組むのは初めてでした。高校時代にもそれほど深い接点があったわけではない3人ではあるのですが、同業で同窓というだけで無条件に連帯感が生まれ気分よく仕事ができる最強メンバー。仕事のあとに待つ「修学旅行」という楽しみを励みに、持ち前の短期記憶を駆使してとにかく頑張る。(同時通訳の場合、1人では集中力が持続しないので交代で通訳し、丸1日の会議の場合は3人がかりで対応します。)

そして3日目の午後4時、ついに会議終了。会議参加者たちがなごやかに会議のあとの会話を楽しむ中、さっさと通訳ブースからの撤収を済ませ、キャリーケースを高速で引っ張ってエスカレーターに乗り、会議場をあとにしたのが4:05。会議前の打ち合わせ時に主催者の担当の方に「なんだかお三方の結束力、強いですね」と指摘され同級生オーラを出していたらしい私たちですが、ここからが本番とばかり引き上げていく私たちの後ろ姿からは他を寄せ付けない凄みが発散されていたに違いありません。

そして「本番」。図ったかのような祇園祭のタイミング、しかもクライマックスである宵山や翌日の山鉾巡行を見物できる日程という僥倖でした。

といっても日本史に弱い3人組。祇園祭とは何?から始まり、宵山って?読み方は?難しい漢字も好き勝手に読む。たとえば前祭(さきまつり)はずっとゼンヤサイと間違えていたし(文化祭か)、最初は山鉾のことは山車(ダシ)と呼んでいたし。

祇園祭では向こう一年の疫病除けとして「粽(ちまき)」と呼ばれるわらでできた長い三角形のお守りが売られているのですが、買うときに「これはナマモノではないんですよね?」と念のため尋ねて「これは食べ物の粽ではありません」と呆れられたり(笑)

このあたりは高校時代と変わっていません。が、決定的に違うのはいまの私たちには手元にGoogle先生がいること。自分達の無知ぶりをようやく自覚し、電池がなくなるほどスマホで検索しまくり徐々に私たちなりの理解を深めていきました。

まだ路上に置かれている状態の鉾に乗せていただき美しい内装を見たり、夜には八坂神社に置かれたきらびやかな神輿を拝んだり、大通りをそぞろ歩いて提灯の灯が美しい山鉾を見物したり。そして巡行の日には豪華な山鉾が人力で曳かれていく壮観な様子や、大通りでの辻回し(鉾の方向転換)の匠の技を見ることもでき、3年ぶりに行われた1100年の歴史をもつ伝統の祭りを堪能することができました。

偶然にも訪れた40ン年ぶりの京都修学旅行の機会でしたが、卒業後こうして再び京都で語り合う機会に恵まれるまでには3人それぞれ山あり谷ありの人生がありました。高校時代の思い出も思い入れもそれぞれに異なるのだけれど、あの時期を一緒に過ごしたという絶対的な安心感があって、とにかく一緒にいても気がラク。もう全部バレているので何も隠すこともなければカッコつけたりする必要もなくて、素のままでいられるという気兼ねのなさが最高に心地よい。そのおかげかここには書けない爆笑ハプニングも多数勃発しました。

短期記憶の脳みそしか持っていない私ですが、この京都での数日間のことはずっと覚えていたいな。祇園祭の華やかな彩りとともに、忘れられない思い出になったと確信しています。

たくさんの手配を買って出てくれた町田尚子、そしてどんなことにも付き合ってくれた浅木かおり。楽しかったね!ふたりのおかげで最高の旅(あ、出張だった)になりました。本当にどうもありがとう。(旧姓・敬称略)