9月入学、基礎国語クラス、日本的な一般常識は理解してなく(本人はまんざらでもなかったが)、長髪癖毛で一見何処の人か分からない。そして何故か入学早々に訳が分からない使命感に駆られ生徒会長立候補。そのときの演説のお陰で仲間からは日本語を未だに揶揄われる。ICU高校で特に頑張ったと言えるのはサッカー部活と卒業アルバム編集で、勉強で自慢できるのは物理Iの一学期で学年2位だったことぐらい。高校生活を通じて日本にそれほど馴染めた感じはないけど、何故か三年生になってから日本人アイデンティティに目覚め、本来なら大学は私立や海外志願でもしそうなところを国立目指して共通一次の選択科目としてどうせなら日本史を学ぼうと土壇場に選んで撃沈。予備校では唐突にも化学に興味を持ち、北大理IIに合格。一年留年は結構余分だったが父の口添えで卒業後にトヨタ自動車に入社し、材料技術部に配属された。大学で高分子アロイの研究をしていたのが当時の上司に注目され、初めて担当させてもらったプロジェクトはポリプロピレン(PP)アロイバンパー材料の開発。当時の一般的な小・中型車のバンパーにはP Pにゴムとタルク(女性のファウンデーションに使われている原料)を混ぜた材料が使われていたが、寸法安定性が悪いのが主原因でボデー外板との隙を大きく取らざるを得なく、クルマの前後にタラコのように付け足されたような意匠で文字通り”Bumper”であった。新たな開発に成功したP Pアロイ材料は高級車も含めて外板と面一同色で一体化された”Bumper Facia”と呼べる意匠材料としてその後ほぼ全世界のメーカーで同様の材料が採用されることになるほどインパクトが大きかった。配属当時はすぐにでも海外で語学力を活かした仕事に着くことを希望したが、先述の上司に「先ずは技術を磨いた上で語学はその武器として活用」と諭されたのは今思うと本当にありがたいアドバイス。結婚に関してはリケ女率が高い材料部署内で今の奥さんと出会う。また初めての北米勤務では平社員の身でありながらも現地で新たな技術チームを採用及びマネジメントさせてもらえたのもいい経験になった。そして入社当時から興味を引かれていた隣グループのレースカー向けカーボン複合材料の開発に引かれ、入社12年目でF1レース開発部隊の社内公募に応募し4年間ドイツでF1レースカー向けの最先端の材料開発を担当。帰国後はその経験を活かし、トヨタとしては2000GT以来のスーパーカー、レクサスLFAのカーボンファイバー車体構造開発に携わるやら、軽量化材料開発をリードするなどここまでは順風満帆の会社人生だったが、管理職として現場から遠ざけられるにつれ上司との軋轢が増し、その後配転となった軽量化企画推進やスポーツカー開発等の各種企画部署でも軽量化材料技術開発への興味が抑え切れず、理由をつけては外部との開発業務を推進。周りがあまり評価されないような開発に注力しながらも腐らずに過ごせたのは数多くの趣味の中でも競技ゴルフで知り合ったクラブ仲間たちたちと過ごす時間と、40半ばから目覚めたランニングのお陰だと思う。毎日昼休みになると一目散に着替えて会社の周りを走るのだが、その間に悶々としていたことを頭の中に巡らせながら自分の心を落ち着かせていると5キロほど距離もあっという間。また、アウトプットはシューズ以外は全て本人の身体の使い方と精神力次第で向上するのも日々楽しい発見であった。それでも流石に現状に我慢が出来ず2019年の自己申告にモチベーションゼロと回答すると運良く今のエアタクシー事業開発の職場に配属されるチャンスが到来。今まで量産車ではコストと生産性が課題となっていた軽量化技術が大いに役立ち、米国加州に駐在しながら出資先のベンチャー企業と一緒になって様々な課題解決と将来展望に向けて日々語り合っている。気がつくと今年の9月には定年退職を迎えることになっているが、もうしばらく北米での業務は続く予定。

 

最後に若手の皆様に一言メッセージをお送りするならば、人生何があるか分からないけど妥協せずにやりたいことに向かって邁進するのもいいのではないか。ただしアップダウンは付きものなので、あまり煮詰まらないように常に遊び心を持つことが大切かと思う。