高校時代の一番の親友とも言うべきオトコから、エッセイのリレーが回ってきた。自分は31期卒業生、今年で30歳。普段腰を据えて文章を書くこともそう多くないが、なにか節目のように感じることもあり、少し嬉しくなった。こういう誘いは、なんだかタイミングが重なるものだ。

高校時代を思い出すと、己とは何か、を形成するのに大きく影響された時期だったなと改めて感じる。当時僕が打ち込んでいたのはエレキギター。器楽部とロック部に所属していた。軽音じゃないよ、ロック部だ!一般的には軽音部と言われるべきだろうが、なぜかICUHSは伝統的にこう呼んでいて、そこらとはひと味違うんだぜ!と得意げになっていたのを覚えている。いまでもその呼び名が残っているといいな。飽きっぽい僕が高校入学で始めたギターや音楽という趣味が今でも奇跡的に続いていて、今や仕事も音響関連というのだから不思議なめぐり合わせだ。それは何より始めた当初のフィーリングが今でも鮮明に残っていて、自分を動かす大きな原動力になっているからだと思う。

「音」で商いをして日々感じるのは、曖昧で不定形なものに価値をつけるなんて不思議だなあということだ。バッテリーがこれだけ持ちます、これだけパワーが出ます。そういったわかりやすい指標は何もなく、あくまで個人の感性だけが評価の基準となる。ロックミュージックなんて未だに60年代に生まれた音が信仰され、鉄の弦を弾いて音を出すなんて超アナログ志向。そういったモノたちに魅了され、曲がりなりにビジネスができているのは、曖昧なものへの度量であったり、ある種の憧れをICUHS時代に持ったからなのではないか。

様々なバックグランドを持つ人達が一挙に集まる高校時代は、僕の人生を振り返っても特に特別な思いでいっぱいだ。その中にはすぐに白黒をつけるのではなく、第三、第四と異なる視点を持つことが大切だと感じた経験が何度もあった。むしろそのまま曖昧でもいいじゃないか。曖昧であることを認めて、それも一つの価値とすることが、僕の形成に大きな意味を持っているのだ。

たまにはこうやって、思いをただ言葉に表してみるのも悪くない。リレーエッセイということで、今でもよく会うアイツ、しばらく会っていないあの子、昔の顔馴染みたちからどんな言葉が紡がれるのか楽しみだ。少しの小恥ずかしさも、いまならアルコールを片手に笑い飛ばせそうだし。