魚の思い出

フライパンで鮭を焼いている。アラスカ産の紅鮭だ。脂が少なくてパサパサしやすいけれども、天然なので栄養は豊富らしい。アメリカで手に入る養殖の鮭はいかにも養殖されましたと言わんばかりにぶよぶよと脂ぎっていてあまり食欲をそそらない。たまに慣れない魚を買ってみると信じられないほど泥臭かったり油っこかったり、腕前の問題かもしれないがなかなか難しい。白身魚はナマズの仲間らしいものや鱈など色々手に入るし、切り身なので使い勝手も悪くないが、子供たちは香ばしさのある鮭や青魚が好きだ。こちらで買える青魚は下ろされていないことが多く、幼稚園児がいるので骨を取り除くのだが、骨だけに骨が折れる。そして彼らは魚の皮が好きなので、面倒でも鱗を取り除いて焼く。オーブンにチキンでも突っ込んで焼けば夕飯の準備時間は三分の一に短縮できるし、実際突っ込む日もあるが、魚は週に一、二回は食べたくなる。

魚の焼ける匂いが立ち上ると、自身の中学時代を思い出す。部活帰りの夕闇の中、車も通れないような狭い路地を辿りながら家路を急いでいると両側の家から夕餉の匂いが漂ってくる。その中でも青魚の焼ける匂いが好きだった。私は鯵の干物や鯖の塩焼きが大好きで、その日の夕飯に登場するといつも大喜びだった。そんな私を見て、亡き母は「渋いわねぇ」と嬉しそうに目を細めるのだった。母の料理を最後に食べたのは14年も前のことだ。今やその日の献立に歓声を上げる子供たちに私が目を細めている。

青魚が好きだった理由ははっきりとしないが、イギリスで子供時代を過ごしたため、魚と言えばフィッシュアンドチップスに代表される鱈系統の料理やサーモン(フライや燻製)を食べる機会が多かったように思う。中学生となり日本に帰国すると「白米と醤油と魚」の組み合わせにいたく感動し、食べ盛りだったこともあってすっかり大好きになってしまった。寿司ネタでも青魚が一番好きなので、単に庶民舌なのかもしれない。

干物といえば、母は食べ終わった鯵の干物の骨をお茶碗に入れ、湯を注いで飲むのが好きだった。私もそれに倣って毎回干物の後の「骨スープ」を楽しみにしていた。鶏や豚や牛同様、魚の骨からはいい出汁が出るのだろうか。今はまだ、子供たちが小さくて小骨の多い鯵の干物を出すことはできない。(そもそもここでは手に入らない。)けれども皆大きくなれば——鯵の干物の小骨をじょうずに取り除けるくらいに、それでいて食後に母の「骨スープ」などに付き合ってくれる程度には無邪気なうちに——目の前で作ってみせて、その反応を楽しみたい。

彼らもあるいは幼少にアメリカで焼き鮭を食べた記憶など綺麗さっぱりなくすかもしれないが、母の母の母のそのまた母の遥か昔から細くとも長く継がれてきた、焼き魚にまつわる記憶をつないでいきたいと私は思うのだ。