「謙虚と感謝」
ICU高校1期生の堀口克也です。
実は今年、令和3年の3月、13年間お世話になった会社を訳あって退職し、それまでの36年間に及んだ会社員人生にピリオドを打ちました。
僕は、小学校を卒業するまでは普通の日本の子供として日本で生活していましたが、父がアメリカへ転勤になり、中学校の3年間をNYの郊外で過ごしました。大変なこともあったけど、ほとんどは楽しかった夢のような3年間はあっという間に過ぎ、中学三年の後半になった時、父が帰国することになりました。能天気な僕は、「あれ?なーんも準備してないけど、俺って高校どうすんだっけ?」ってぼんやり考えてたところ、「帰国子女を受け入れるICUの高校が新しくできるみたいだから、そこに入んなさい」と言われ、面接と作文の入試を受けました。ここしか受験しなかったので、「え?もしここ落ちたら俺って高校浪人?マジ?」って内心少し焦ってたけど、親は、当時の帰国子女枠はほとんど落ちることないだろうことはちゃんと調査済みで、万が一のこともないように、学校関係者に根回しもしてくれてたみたいです(あ、でも裏口ではないです!)。
ICU高校の3年間は、それはもう濃厚な3年間でした!数年前に、高校の事務局からの依頼で、HPに掲載されている「卒業生へのアンケート」に回答したけど、<私にとっての「ICU高校」とは>という問いに対して、「今の生活の基盤を築いた、私の人生の出発点です。今から思えば、あの3年間に学んだことは、授業の内容だけでなく、勉強の仕方、遊び方、社会生活の基礎など、あらゆる分野に及びます。たった3年間だったなんて信じられない!」と回答してました。今思い返してみても、まさにこれまでの半生の基盤を築いた出発点であったとの思いは変わらず、たった3年とは思えないほど様々な出来事を思い出すことができます。山ほどの楽しかったことと、ちょっぴり辛かったこと、時には勉強も頑張ったけど、悪友たちとつるんでわるいことも結構したりしてました(笑)。
高校を卒業後、高校と同じくらい濃厚で思い出たっぷりの大学生活を同じキャンパスでエンジョイして、大手証券会社に就職して社会人デビューしたのは36年前、いわゆるバブル経済が丁度始まりかけた頃のことでした。
最初に配属された国内支店営業では出来が悪く、営業成績もかなり低い方でした。でも、海外在住経験と、高校・大学で語学力をキープさせてもらえたお陰で、海外の機関投資家相手の大口取引を担当する国際営業部へ異動、それ以降は二回の海外駐在(スイスとニューヨーク)を含むほとんどの期間でクロスボーダーのビジネスを、機関投資家営業、投資銀行、ファンド分析、資産運用と、多岐に渡る分野で経験させてもらいました。ただ、この会社は国内営業至上主義だったので、最初の営業成績不振も祟り、まあ、そもそもは自分自身の実力不足が原因なんですが、その会社での出世にも限界が感じられた22年目に、同期の出世頭が役員に昇進する頃合いで退社することにしました。
その後、会社員人生の後半では、外資系の資産運用会社2社にお世話になりました。日本法人の中ではシニア・レベルのポジションで、1兆円を超える規模のビジネスの中核メンバーの一人となるなど、とてもやりがいのある仕事に熱意を込めて取り組むことができました。
会社員人生を終え、これから踏み出す第二の人生の設計図はまだあまり具体的に描ききれていませんが、「資産運用」と「クロスボーダー・コミュニケーション」の2つの分野でこれまで培ってきたスキルを武器に、個人事業を展開していければと考えています。
これまでの半生を振り返り、また今後の事業構築を展望するにつれ、自分の座右の銘としている「謙虚と感謝」という言葉を何度も噛みしめています。この「謙虚と感謝」は、毎年欠かさずお参りを励行している京都伏見稲荷大社の稲荷山山中にある眼力社さんの代名詞とも言えるお言葉で、「常に謙虚に振る舞い、感謝を忘れない」という教えです。会社員人生での素晴らしい経験、今後の事業展開を可能にする礎は、決して自分の実力なんかではなく、周りに助けられてきたからこそであると、感謝の気持ちを新たにしています。特に、僕の「人生の出発点」となったICU高校の3年間に対しては、それを形作った先生方や友人たちを含めて、いくら感謝しても感謝しきれない気持ちでいっぱいです。それと、そんなICU高校へ入学させてくれた両親にも、その要件を満たすアメリカ生活をさせてくれたことも含めて、心から感謝しています。有難いことに、92歳の父と85歳の母は、高齢者施設で生活しながら今も健在に暮らしてくれています。
これからも、自分を過信することなく、周りの全てに対する感謝の気持ちを持ち続けていきたいと考えています。