「エッセイを書いてほしい。」突然の無茶ぶり。相変わらずだなあ、我が母校。なかなか書けずに出遅れてしまった。恩師(松坂文先生)の催促をいただき、ようやく書き始めた。

 卒業してから今年でちょうど10年が経つ。10年。もうそんなに昔なのか、という思いと、まだたった10年前なのか、という思い。交友関係が決して広くない僕が仕事帰りによく会うのは、高校時代の友人2人だ。

 10年経つと、多くのことが変化する。僕自身、結婚し、娘がひとり与えられた。あと10年もすれば、この子の高校進学について、具体的に考えていることだろう。しかし、10年経っても、高校時代の友人に会うと、飲み物がコーラからビールに代わったこと以外、あの頃と何も変わらない時間を過ごすことができるのは、とても不思議な、そして幸せなことだ。

 もう一つ、僕が高校から続けているのは、ゴスペル。有馬先生を通して知り、毎週アッセンブリールームで行われていたゴスペル。今も僕は、あの時に出会ったディレクターとピアニストのもとで、ゴスペルを続けている。10年も関わると、僕の良いときも悪いときもゴスペルには知られているような気がして、妙な安心感がある。

 こう書き起こしていくと、今日の自分と10年前の自分が、本当に地続きだということが、よくわかる。昨日、今日、明日と続いていく毎日の積み重ねが、今日に至っていて、それが死ぬまで続くと思うと、なんだか人は地層のような存在だなあと感じる。突然高校の同窓会のリレーエッセイを、と言われたもんだから、地層を掘り起こしてみて、言葉にし得ない感傷に浸っている。街行く人々がみんな地層で、それぞれに歴史を積み重ねて、今に至って生きている。そんなことまで、考え始めてしまった。

 高校の時に思い描いていた未来とは、ひとつもふたつも違うところにいるけれど、今の自分には確かにあの時の自分が今も生きていて、ここまで重ねて来た地層は、そうやって唯一無二な「自分」を織りなしている。きっと、みなさん、そうなのでしょう。

 この執筆を機に、またあいつに会ってみようかな、なんて、いくつかの顔を思い浮かべたりしている。あと、娘を連れて、あの森に行きたいな、あの先生に会いたいな、とそんなことも考えている。