水泳部つながりの金子君からバトンを受け取り、人生の「邂逅」について温かく、そして深く語ってくれた中田君 。彼から手渡されたバトンをぎゅっと握りしめ、私の心は一瞬にしてあの緑豊かな武蔵野の地に引き戻されています。
「なぜ、まだできて6年も経っていないはずの新設校の廊下の壁に、サッカーボールが弾け飛んだような穴が開いているのか?」
私が一年生の2学期にいわゆる「編入生」としてICUHSの門を叩いたとき、最初に覚えた衝撃がこれでした。自然が広がる美しい武蔵野台地、真新しい気持ちのいい学舎。そんなピカピカのキャンパスを、当時の教頭先生にオリエンテーリングで案内していただいていた時のことです。目の前に突如現れたのは、どう見ても「激しい何かが衝突した」としか思えない不自然な壁の穴。衝撃を隠せない私に対して、先生は「ああ、これね」とだけ言われ、何でもないことのように微笑まれました。
さらに追い打ちをかけるように、校長先生への初めてのご挨拶で、私は耳を疑う言葉を贈られることになります。
「この高校の先生方は本当に素晴らしいですよ。何しろ、普通の学校ではハマらない先生ばかりを厳選して集めたから」
校長室で「えっ」と聞き間違えを疑ったのですが、そこからの3年間は、まさにその言葉が「寸分の狂いもない真実」であることを知る日々となったのです。
オリンピックに出場するアーチェリーの達人の先生がいるかと思えば、体育の授業で突如、「はい、今日はマイケル・ジャクソンの『Beat It』に合わせて、各自でダンスの振り付けを考えて踊りまーす!」と宣言する先生が現れる(実際は綿密なカリキュラムだったのでしょうが、当時の私には青天の霹靂でした)
生徒が気まぐれに「The Beatles、聴きたい」と呟けば、ロッカーからおもむろにマイギターを取り出し、澄ました顔で弾き語りを始めてくれる先生がいて、倫理の授業では映画『カッコーの巣の上で』の映像を見つめながら、「人間とは何か」を私たちに本気で問いかけてくる先生がいた
そして、先生と私たち編入生を合わせても両手に満たない人数で受けた、古文の授業。だだっ広い四角い教室の真ん中で、ちんまりと丸く輪になって、「はい、机と椅子の移動から始めます」という先生の澄み渡る号令から始まるあの時間は、壊滅的に苦手な古文とはいえ、何とも言えず贅沢で、豊かなものでした
そして、1年2組の時に白衣を着て黒髪をホワンとさせていたのんびりタイプの担任の先生。卒業後の同窓会でお会いしたら、なんと金髪にチェーンをじゃらじゃらと鳴らす、バリバリのロックンローラーに変身されていました
校長先生、一体どんな面接をしたら、これほど愛らしく、豊かで、強烈な先生方を集めることができたのでしょうか? 社会人になり、私自身も面接官を務める立場になってから随分経ちますが、今でも校長先生の審美眼には驚きます。
「私のアイデンティティは、この「規格外の恩師たち」と、それ以上に自由奔放だった同期たちとの濃密な時間によって形作られた」
思い返せば、私たちの日常は、毎日が異文化を背負った、正に「個性とのスパーリング」のようでした。
私はその後、発想の自由を奨励する「粒揃いより粒違い」という考え方と「生活者インサイト(人の心に寄り添うこと)」を何よりも重んじるある広告会社に入社し、クリエイティブ・ディレクターとして言葉やアイデアを紡いできました。そして現在は、外資系IT企業にて、クリエイティブとデジタル、そしてAIがもたらす未来の可能性に心を馳せる日々を送っています。
もし、ICUHSのあの先生方、そして先生方の個性を軽く凌駕していく素晴らしい同期たちとの時間がなかったら、私はきっと今のキャリアを選んでいません。
だって、私はあの3年間で、心の底から学んでしまったのですから。「型にハマる必要なんて、どこにもないのだ」ということを。
さて、次の走者をご紹介します。
体育の授業、あのマイケル・ジャクソンの『Beat It』が流れる中で、「人間の身体って、こんなにしなやかに、そして楽しそうに踊れるものなの!?」と、当時の私を心の底から驚かせ、魅了してくれた黒川 奈都子さんにバトンをお渡しします!奈都子、あの時のしなやかなステップで、次のバトンを繋いでね!
