大親友の村山玲ちゃんからバトン受け取った〜
高校生活は実に濃い3年間だった!日本語がまだまだ通じなかった高校3年間は、毎日が喜怒哀楽の繰り返し。
特に1年生の頃は、勉強についていけなかったのはもちろん、そもそも「高校生活とは何なのか」すらよく分かっていなかった気がする。今振り返ると、ICU高校での3年間は、私にとって「予測不可能」という言葉が一番ぴったり。
今回は、その中でも特に濃かった1年生の頃の、不可解で、面白くて、おかしくて、愛しくて、楽しくて、そして時々苦しかった思い出を書いてみたい。
体力測定
入学して2日目。
中山先生から、「運動着を持ってきてください」と、おそらく言われていたと思う。でも私は、普通に制服で登校。
そして学校に着いてから、「あれ? みんな何か違う。」となる。
そこから拙い日本語でクラスメートにお願いして、運動着を借りる。体育館シューズも、どうやって手に入れたのか今となっては覚えていない。とにかく、周りの人に助けてもらいながら、極度の緊張状態で体力測定を終了。体力測定なのに、体よりも頭の方が疲れた。
学園祭
高校に入って、初学園祭楽しそう〜「何かやりたい!」「参加したい!」と、手を挙げていたと思う。
私は、学園祭というものが、クラスもやる。部活もやることを、理解していなかった。
学園祭中、ラウンジでせっせとあんみつを作っていた時、突然、母が現れて、
「これから1年1組の劇が始まるよ!」と、なぜかものすごく焦っている。
「……劇?」
そこで初めて、「あ、そういえばクラスの劇!」となった。
そう、私も1年1組の劇に出ていた。出演者本人が自分の劇の時間を把握していない。(笑)
母上、ありがとう!!!
体育祭
「体育祭なら、私もクラスに貢献できる!」と思った。
いろんな種目に参加し、応援合戦にも積極的に参加。しかも、いろんなパートに顔を出していた。
ところが。体育祭当日、雨。今村先生から学んだ「雨天延期」という言葉がここで!
しかし私は、延期された体育祭の日が分かっていなかった。
そして次の土曜日。体育祭!まずい!応援合戦の衣装がない。
仕事中の父にお願いして、衣装を学校まで届けてもらった。
父上、ありがとう!!!
10月10日
体育の日。祝日。学校は休み。……のはず。
でも私は登校した。普通に。
そして学校の校舎の前まで行って、
「……誰もいない。」
そこで初めて知った。「今日、祝日なんだ。」
今でも10月10日になると、少し思い出す。「あの日、学校まで行ったなあ」と。
ブービー賞
1年生のスキー教室。スキー初体験。
みんなと夜更かしして、初UNO。初・大貧民。
そして・・・初・ブービー賞。
なぜか、いろんな人から、「おめでとう!」と言われる。
「……ありがとう?」そもそもブービー賞って何?なぜ私?何のお祝い?
なぜおめでたいのか分からないけど、いい賞品もらったし、私はきっとすごいことしたに違いない!
何も分からないまま、とりあえずみんなが祝ってくれるので喜んでいた。
謎が解けたのは、なんと3年生になってから・・・遅い!
先生たち
私はICU高校史上でも、かなり先生方にご迷惑をかけた生徒だったのではないかと思う。
そして、かなり甘えた生徒でもあった。
本当にお世話になった。
特に、今村先生との1対1の日本語授業。
最初は、正直、相当苦痛だった。
ほぼ毎日の小テスト。毎週の日本語作文。
何度思い出しても最初の1学期は辛かった・・・
でも、今村先生の授業は日本語だけではなかった。
日本の文化。日本の雑学。・・・
私が、「サザエさんを毎週見ています」と言ったら、『磯野家の謎』という本をくださった。「弁慶の泣き所」(まず弁慶というのはから始まり、、、)・「虫の知らせ」(なぜ虫から)・「風の噂」ではなく「風の便り」・「ら抜き言葉とは」。そんなことを一つ一つ教えてもらった。
最初は「つらい勉強」だったものが、いつの間にか「日本語って面白い」に変わっていった。そして、今村先生の授業が楽しくなると、不思議なことに、佐野先生、星野先生の国語も楽しくなってきた。古文も漢文も、
「何これ?」から、「面白いかも。」に変わっていった。
大学でも日本語や日本文学に興味を持ち、国語の教員免許と日本語教師の資格を取得。
そのまま、厚かましくも(笑)、日本語教師を8年間やった。
高校1年生の時に「苦痛」だった日本語の授業が、まさか自分の仕事につながるなんて。
パピコ
私の高校生活を語るうえで絶対に外せないもの。パピコ!!!
2本で1セット。本当によくできている。
台湾には、当時1本5元で売っていた、私の大好きなアイスがあった。
高校の売店でパピコを見つけた時、
「台湾のアイスに似てる!」と、嬉しくて、毎日のように買っていた。
ただし、私は食べるのが遅い。1本食べ終わる頃には、もう1本が溶ける。
「パピコ食べない?」と誰かに声をかける。
別に友達を増やそうと思ったわけではない。ただ、一人では2本食べきれなかっただけ。最初は同級生。顔見知りに一人ずつ声をかける。一周したら、今度は先輩。
2年生になったら、後輩にも。
気づけば、「パピコ食べない?」と私から声をかけるだけではなく、
「佳代、パピコ食べよう!」と、向こうから声をかけられるようになっていた。
そして、いつの間にか―あだ名が「パピコ」。
そもそも、日本の高校に進学する予定ではなかった。
いろいろな事情があって家族の中で揉め事が起き、突然、進路が変わった。
中学校を卒業し、高校受験も終わり、それなりに「いいところ」の高校にも決まって、
「思いっきり遊ぶぞ!」と思っていた7月の第1週。突然、人生がガラッと変わった。
まさか、あの時、人生がガラッと変わり、地獄だと思った道が、
私の人生で一番面白くて、一番大切な道標になるなんて。
1 5期のみんな、あの3年間を一緒に過ごしてくれて、今でも仲良くしてくれて、本当にありがとう。
そして、あの頃の私へ。
よく分からないまま、よく頑張った。そして、よく遊んだ。(笑)
