11期生の岡野(旧姓:荒沢)実和子と申します。この度、同窓会HPにおけるリレーエッセイの11期の代の口火を切らせていただくことになりました。目立つ存在でもなく地味な私がなぜこんな大役(?)を担うことになったかと言いますと、実は私がほんのちょっとだけICU高校サッカー部のマネージャーをしていたことに起因します。

高校1年生の当時、私はサッカーの母国イギリスからの帰国生にも関わらず、サッカーのルールなんてまったくわからないし、広いグラウンドでボールがあっちいったりこっちいったりしてなかなかゴールも決まらないし、土埃で真っ黒になるし、何が面白いのかさっぱりわからない状態でした。でもサッカー部のマネージャーをしていた同じクラスの大親友の美幸ちゃんが、1年生ももう終わりに差し掛かった頃、『大変、みんなやめちゃって私一人になっちゃうから実和ちゃん、一緒にやって!』というのです。当時私は小中とイギリスで育ち、和への憧れがあったのか、美味しい和菓子が食べられることに惹かれたのか、茶道部に入部していました。茶道部は週1回の活動だったので掛け持ちはできるけど、ルールもわからない私に務まるのだろうか。とにかく次の代のマネージャーさんが入ってくれるまで頑張ろうとの美幸ちゃんの言葉に引っ張られスタートしたのですが、果たして私は何か役に立てたのだろうか。練習メニューをノートに書き記したり、ボール拾いしたり、スポドリ作ったり、一回ぐらいレモンの蜂蜜付け作ったかな?マネージャーの先輩方はとても優しかったけど、部員のみなさんとの絡みはほぼなし。サッカー部員は寡黙な人が多かったのか?私自身、人見知りで赤面症だったのもあり、なかなか打ち解けられず、部員とマネージャーさんの仲がいい他の部を指をくわえて羨ましく見ていました(笑)そして2年生になり、1年生のマネージャーさんが3人も入ってくれて、さっさと引継ぎして、私たちはやめてしまったわけです。

そんな中途半端な関わりから15年後、私はフットサルと出会います。長男が生まれて保育園に通うよりになり、そこで知り合ったパパ達と夫が2005年頃フットサルを始めたのです。当時はまだ今ほどフットサルコートもなくて、フットサルって何?という状況だったけど、練習風景やユニフォームを作って大会に参加している夫達はとても楽しそうでした。体を動かすのが大好きで、大学時代は友達と一緒にラクロス部を創設するぐらいスポーツ好きな私は、自分でもやりたいとウズウズしていました。その後次男が生まれ、子供達の手が少し離れた2010年、38歳の冬。満を持してのフットサルデビュー!初参加ではお膳立てゴールも決めて、すごく楽しかったけど、全然できない自分が歯痒いことと言ったらありませんでした。その後子供たちが小学校に入ると習い事などでなかなか自分の時間は持てず、上達するほどには継続できず…。

細々とフットサルを続けていたそんなある日、卒業して24年ぶりに1期上のマネージャーのM先輩と再会!そのご縁で2015年に初めてICU高校サッカー部のOBOGの皆様が長年開催されてきたフットサル大会に初参加。サッカー部1期生の大先輩や顧問の先生にお目にかかり、一緒にプレーして、思い出話を聞かせていただきました。そしてそこからさらに先輩方が参加されている別のフットサル団体の会合にお誘いいただき、それが自信になって、それまで気後れして参加していなかった職場のフットサルチームにも顔を出すようになり、最近では保育園のママ友と一緒に個サルやビギナー教室にも参加しています。そんな感じでどんどんフットサルをできる場が広がっていき、コロナ禍で色々なことを我慢している中、フットサルだけは続けることができています。色々な場所で、還暦を過ぎた大先輩から、息子たちと同年代の若者まで、たくさんの方々と一緒にプレーできることに喜びを感じています。

今回私にリレーエッセイを託してくれたのが、サッカー部の1年後輩で、今はICU高校の教師をやっている松坂文くんです。当時の記憶があまりない私でも人懐っこい文くんのことは覚えていて、先生になったのかーと感慨深かったです。5年前には卒業以来初めてICU高校のサッカー部のOB戦に顔を出させていただき、文くんが改修後の校舎を案内してくれて、当時サッカー部顧問で私の担任の先生だった中西先生にもお会いする機会に恵まれました。

人生やり直したいと思うことはほぼないのですが、唯一戻れるとしたら、今のサッカー大好きな気持ちと社交性をもって、マネージャーをやり直してみたいと思うことがあります。でもあんな形でもあの時にマネージャーをやっていたから、今の楽しい人生があるんだなとしみじみ思うのでした。