人生で「もし」を想像するのは安易なやり方かもしれない。
でも「もしあの時ICUHSに入学していなかったら」と想像すると、あまりに失うものが多すぎて、確実に今とは違う人生を歩んでいるのだろうなきっと、とそれだけはわかる。

卒業してから何年よ?と思い返すも、もうわざわざ計算しないとピンとこない。数字を見ても、ええもうそんなに?と苦笑せざるを得ない。
還暦?なにそれ?気持ちはまだ卒業したてのあの頃のままだが、数字は正直。
つまりはそういうことだ。自分がいい歳であることはどうも間違いないようだ。

歳を重ねて様々な人生を歩んでいれば、家族も増えるし友人も増える。それなりに経験を重ねれば、仕事を介して、子供を介して、はたまた友達の友達、趣味を介しての友達…ありがたいことに知り合いは無限に増えてゆく。当然その数はICUHSで同じ時を過ごした友人や先生方の数を遥かに凌ぐ。

数だけ見れば圧倒的少数派。それなのに、あの頃時を同じくして過ごした友人たちから「会おうよ〜」と声がかかれば、一も二もなく「行く行く!」と返事してしまうのは何故だろう。お互い住んでいる国が違っていても、それが数十年来の再会だとしても、会えばついこの間の続きみたいに「それでさ〜」と話が弾んで、笑い合って、一瞬のうちにキャッチアップ完了。ちょっとだけ大人になった、でも中身は大して成長していない高校生同士で、お互いの人生を讃え合い、愛おしく思いながらの馬鹿話。時々しか会えないからこそ、その時ばかりは日々頑張っている心もふと緩んで、気づけば家族にも話さないような心の内を吐露したり、職場や立場が違うからこそ話せる仕事の話、人生の迷いまで語っていたりもする。返ってくる答えは優しくも厳しく、本質を突いていて時に深淵。それは心のビタミンでもあり精神安定剤にもなる。気持ちが塞いでいるときには寄り添ってくれて、どちらを向いたらわからないようなときには、行く先をほんのり照らしてくれる。そう、ほんの一瞬。それはさながら人生のlighthouse。

あの時の友人達、先生方。今や、天にも地にも、いたるところにも意外な場所に
も、誰かがいてくれる。あの頃話したことのなかった同期でも、再会は実に新鮮で頼もしい。どこに行っても寂しさを感じないのは、自分が単に人生経験を積んだからだけじゃない、あの時の仲間がどこかにいてくれるというか安堵感、自己肯定感に似た安心感のせいだ。
いくつになってもいろんな人に会いたいし、チャレンジもしたい。そしてそれを支えてくれるのは、前に進む推進力のエンジンは、ICUHSでの時間がくれた何があっても大丈夫という根拠のないされど絶対的な確信だ。

振り返ってみれば、支えてくれたのは、前に進ませてくれるのは、あのときもこのときも直接的にせよ間接的にせよ、ICUHSの仲間だったなあと思う場面はいくつもある。単なる偶然?いや、神の采配か。
だとしたら、私をICUHSに出会わせてくれて、道を照らしてくれて、神様ありがとう。
みんな、ありがとう。

先日、かつての寮生仲間と集まる会があった。
「今よりもっと歳取ったらさあ、最後はやっぱり日本で暮らしたいんだよね」
うん、そうだね、同感。
「その頃はみんな、1人になってたりするじゃない?そしたらこのメンバーでグループホームとか作って住まない?」
それいいじゃん!めっちゃ楽しいねえ。
「で、冷蔵庫にはみんな牛乳パックとかさ、名前書いて入れとくの」
んで、えー、私の入れといたアイスないんだけどー、誰よ食べたの!って喧嘩になるんでしょ?(笑)

そう、結局、1ミリも成長していない(笑)。
つまりはまだまだ伸びしろだらけ、ってことで。
還暦?なにそれ。私たちの人生、お楽しみはまだまだこれからだ。