連載エッセイが回ってきた。
皆の文章の中にあるあの頃と、時を経た私達の間にあるもの。
止まらない時間の中にあって尚、変わらないものを想う。

最近腑に落ちたことなのだけど、自分は経験の区切りを消化するのに、随分時間がかかるらしい。
自分史上の一つの時代が終わり、次の時代の始まりを完全に受け入れるのに、次周が始まってさらに十年くらいかかる。
いつも何かを卒業しきれない感覚があった。
言葉にならなかった当時の感覚も、今では少し俯瞰して眺められる。

時折、果物で酵素ジュースを仕込むことがある。
発酵には器の半分ほどの余白が必要だ。器の全てを液で満たすと発酵しない。
その空間は、まだ形にならないものが、カタチにならないまま存在していられるスペース。
それは目には見えないが、とても重要な空白なのだ。

あの頃の高校の居心地の良さも、単なる多様性の受容だけではなかったのだと思う。
他者を圧迫しない空気の奥には、違いを否定しない姿勢の他に、見えない奥行きの広がりがあった。
今思えば、発酵したり成熟したりするために必要なスペースが、確かに保たれていた。
スペースを支えていたものはきっと、生徒や先生それぞれの生きた多様な体験の振幅と、その向きの違いを許す場だったのだろうと思う。
なんというか、そこには無条件の信頼があって、私はただそこにいることを許されていた。

この国にあって心的スペースが足りなくて息苦しさを覚えてきたある種の人間にとっては、それは稀有な救いに成り得ることだ。
一定の基準に届かないことで、取り零されていく人があるなら、押し着せられる社会通念を纏うことが出来ずに、浮き溢れて行く人もある。
感受性の解像度が細かいがゆえに、社会に対しては自分を曲げざるを得ない。
不文律として存在するフォーマットに沿って、ペルソナを生き続けるには人生は長い。

もっと世界は美しくて、人生は善いもののはずだろう?
ある視点を軽々と超えていく視野があって、それを生きることのできる視座があるはずだ。
霊性や精神世界の認識を深めてみたくて、哲学や心理学や宗教学を齧ってみたけどどうも違った。
アリマンの元で、キリ概の教育実習をした生徒は私以外にもいたのだろうか。
本当のことを知りたくて、ただそれだけ追いかけていたら道が開けた。

したい時にしたい事をしたいだけしたいから自営業を選んで、自分や自分のような人々が住みたいと思える世界を作りたいと思っていたら、なんとなくそれで生きていけるようになった。
分野としてはサイキックヒーラーというジャンルになる。
税法上はコンサルタント業になるらしい。
ウェルビーイングや非二元やスピリチュアリティーを扱う、カウンセラーと整体師とシャーマンの間みたいな仕事だ。

ある時断食していたら意識が拡がって、色々感じたり受け取ったりできるようになった。
最初は整体的なクラニオセイクラルワークという手技を研鑽するうちに、サイキックな霊的施術がどんどん深くできるようになっていった。
あとは元々知っていたものにアクセスして、順に思い出して行くような感じだった。
まぁ一般的な仕事ではないが、元々一般的であった事などないので特に気にしたことはない。
なんやかんやで独立して四半世紀くらいになる。
最近は屋久島を拠点に定期的に出張したり、世界各地を巡っている。

実は今、帰路の船の中でこれを書いている。
昨日まで家族でニュージーランドのタラナキを半月ほど旅していた。
あの頃結婚など、ましてや子供など、絶対に持つことはないだろうと思っていた。
今はどうしたら8歳のこの子の可能性が、押し潰されずに育つだろうかと考えている。
数年海外で暮らしたいなと思うようになってきた。

東京から屋久島に移り住んで六年。
十分に遠くへ来たはずだが、さらにもう一周、広がる気配を感じている。
何かが拡大していく変わり目にはきっと、茫漠たる世界への、信頼を支えるスペースが必要なのだ。
未知と空白への信頼を、自分は今もあの頃から受け取っている気がする。
それは多分私のベースに、あの高校で見た人々の姿への信頼があるからだ。

「いつかまた世界のどこかで!」と言い合えるような、そんな繋がりを持てる事を嬉しく思う。
気に留めてくださる方は連絡をもらえたら大変嬉しい。

貫山貴雄