記憶の色が変わるとき
―畑中君のピンチヒッターとしての登場、山田微子(よしこ)です。
最近人に話したら、あまり理解してもらえなかったことを綴ろうと思います。

過去は変えられないと人は言う。
でも過去は、もうだれかの記憶の中にしか残っていない。
そして、その記憶は人によって少しずつ違っている。

だとしたら、自分の記憶の意味が変われば、過去も少し変わることになるのではないか。
そんな変なことを、私は真剣に考えている。

昨年行われた卒後30周年の同窓会と、それを機に続いている同級生との関係は、私にとって、過去の記憶に新しい意味を与えてくれるものになっている。

高校時代の記憶には、楽しかったことももちろんある。
一方で、嫌な経験があったわけではないのに、高校時代に戻りたいと思うことはなかった。

当時の私は、いつも何かに追われている悪夢を見るのが定番だった。自分が好きだと思って選んだはずのものも、手にしてみるとやっぱり選んだことが間違いだったのではないか、、、と思えてしまう。周りの目が気になってそうなっていたのかもしれないが、面倒なことに、人の目が気になるわりに、人と同じでは嫌だったりするのだ。

英語がめちゃくちゃできる帰国生。
全科目をそつなくこなす一般生。
青春の汗を流す運動部。
かっこいいステージを繰り出すロック部。
人々を惹きつけるスピーチをする生徒会。

どれもキラキラ輝いていた。

そして私は、自分のいる合唱部を、どこか地味な場所のように感じていた。
合唱部は心から楽しんでいた。
にもかかわらず、自分の選んだものを肯定できていなかったのかもしれない。

そんなふうに、少し距離を置いて眺めていた高校時代の記憶が、昨年の同窓会をきっかけに、少しずつ違う色を帯び始めた。

久しぶりに同級生たちと話していくうちに、当時まぶしく見えていた人たちにも、それぞれの迷いや不安があったことを知る。
高校時代には無口で少し怖い印象だった人が、今になって「本当は話しかけてほしかった」と話してくれる。その一言で、当時の沈黙や距離感まで、違う意味を持ってよみがえる。
あの頃の自分の居心地の悪さの記憶は、形を変えていった。

昨年の同窓会後、複数のサークルが立ち上がった。その中で私は高校時代に心残りだったことを、今になって取り戻しているような感覚がある。
それがとても嬉しい。

聖書に、こんな言葉がある。
“For I know the plans I have for you,” declares the Lord, “plans to prosper you and not to harm you, plans to give you hope and a future.” Jeremiah 29:11

長い時間を経て同級生たちと再会し、過去の記憶にもう一度出会い直している今、あの時間も今につながっていて、すべてに意味があったのかもしれないと思える。

過去の出来事そのものは変えられない。
でも、その記憶に新しい意味が加わることはある。
そのとき、過去はほんの少し、温かい色に変わるのかもしれない。

最後になりましたが、2021年からこの企画が続いていること、その後もたくさんの方々が参加されていることに、純粋に感心しています。
私もこのループに入れていただけたことを、とても嬉しく思います。

畑中君、バトンを回してくれてありがとう。