振り返ると「ふふふっ」としてしまう事が沢山あり、良き時代での高校3年間であったとつくづく思う。
5期というICUHS史あけぼのゆえにあり得た事、先生も生徒も個性豊か(過ぎ?)によるハプニング、コンプライアンスという言葉が無かったから起こった事、アナログ時代だからできた事(車の後ろにあるステッカー“24時間録画中”は、無言の行動抑止力)…残念なのは、SNSで見返すことはできず、あるのはアナログ写真と頭の中の記憶のみ。
もし!あの頃SNSがあったら…何を見る?
まずは、体育祭。それなりに激しかったと記憶する女子騎馬戦、日ごろの人間模様を映し出す?何かと物騒な男子棒倒し?いやいや、やはり、花の応援合戦か?
次にロックコンサートは外せない。5期生には、ロックはもちろん、JAZZ、クラシック各々多彩なミュージシャンがいたのだ。
授業も見たい。「・・・ゆえにゼロ。ゼロってなんて美しいんだ…」ふむふむと黒板の自らの数式を見つめるM先生。手書きガリ版印刷「疎外された労働」の現代社会、「ガムは出す!」の美術に、フットルースでの実演テストだったダンスの授業(同じ振付なのに、なんと豊かな個性)…
などなど数えきれない。(修学旅行@阿蘇の夜での、山口百恵とマッチも見たい)
今、一つだけ見ることが叶うとしたら、先生と5期生有志によるロックオペラ「Jesus Christ Super Star」を挙げる!1996年、ウエストエンドで初めて本物を見たが、曲・演奏・歌唱力・シンプルな舞台構成に、だからこその演技力…この96年版のインパクトは、今までのあらゆる舞台鑑賞での別格。当時の記事に「Jesusの圧倒的歌唱力、Judasのソウルフルな声とキャラクターは公演上必須であり、相応しいキャストを同時に発掘することや、長期間に耐えることが難しく、ファントムやレミゼのようなロングランができない」と書かれてあった事を覚えている。
本物に触れ、その凄さを改めて知る…まさにそれを、1984年、ICUHSの先生と同期有志は演じたのだ。Jesusは、他己(タコ)になれ!の周先生。JudasはVictor、Maryに高月先生…このお三方はあまりにもピッタリ。演じた役が思い出せないが、長埜先生(確か、総督Pilate?)、金澤先生もとてもお上手だった。演奏は、アリマン先生率いる器楽部。天晴の舞台に、心から動かされて拍手を贈る自分。あの日の記録を留めるのは、Year Bookの3枚の写真のみ。先日、アリマン先生に、ハンディカム55を含め記録の有無を確認したが「どこにも残っていない」とのことで、年末ジャンボ宝くじヒト桁違い的にすこぶる残念でならない。
確かにSNSが有れば、「ああそうだったのね」と想像の余地なく直ぐに辿り着ける。無いからこそ、恥ずかしくなるような、見返したくなくなるような自分に遭遇することもない。また、友達との再会時に、「ああだ!」「こうだ!」「いや違う!」と思い出話で盛り上がり、また「実はこうだったんだよね」と今になって新たな発見もできたりと。SNSでガツンと白黒証左されるより、思い出は自分たちの楽しいように余韻を残しておく方がよいのかもしれない。
