野田晴子ちゃんにご指名をいただきました。日本人らしいかといったらわからないけど、自分でも、私が典型的な「一般生」だったのは間違いないだろうなと思います。長年の塾通いの末にやっと合格した都会の私立で、真面目に上履きに履き替えて校舎に入った私を待っていたのは、制服ちゃんと着てない、最低限の整列すらちゃんとできないグダグダの式典と、英語がぶっちぎり一番下のクラスという現実でした。え、私が制服と整列嫌いな側だったはずなのに、英語信じられないくらい得意だったはずなのに・・・と瓦解した自信は結局今日まで復活していません。

高校時代を思い返すと、今頃みたいな秋の高い空の放課後を思い出します。毎日すごく必死だったと思います。あれ、私って何もないんじゃないか、家族の勧めた学校に入って家族の勧めで留学決めただけで、という不安でいっぱいで、必死の自分探しとやぶれかぶれのチャレンジばかり繰り返していたように思います。とにかく、私は先生や先輩も含めて、高校にいるみんなが眩しくてうらやましかった。みんな、圧倒的に格好良かった。誰一人同じような人がいなかったし、大人っぽかったし、かわいかったし、スタイルがあって、おしゃれだった。私の知らない広い世界のことを知っていて、知らない言葉で流暢に喋っていました。ただただ、私もそうなりたいと思っていました。

今思い返すと、
別にそんなに騒がなくてもよかったのに。
あなたはあなたで十分大丈夫なのに。と、自分をいじらしく思います。

そのあと私もアメリカで大学院に通うことになり、また英語がビリっけつの一介のnobodyとして再び必死の毎日を過ごすことになるのですが、その時に、この感じ高校の時みたいだなと思いました。で、あれ、高校にいた素敵な人たちも、世界のどこかでこんな圧倒的なマイノリティ感を抱えて必死に戦ったことがあったのかな、と、ちょっとは察することができ、あの時は、ただただうらやましかっただけのみんなへの尊敬を新たにしました。
で、その時も、アメリカに行っていた高校のみんながたくさんいたので、遊んでもらい、助けてもらい、支えてもらいました。

思い返せばいつだって、新しいチャレンジがあるたび、私は勝手にパニックになって大騒ぎをするのですが、そのたびに誰かが、「ちょっと、そんな騒がなくても大丈夫だよ 笑」みたいに、笑顔で手を引いてくれたと思います。
そして、その人たちが、高校のみんなであったことがとても多かったなと思います。
みんなに心から感謝しています。

月日は流れ歳をとってわたしも相当に図々しくなり、もう、そう簡単なことではパニックにならないけど、乾いた空気と高い空の秋の日に、時々あの気持ちを思い出します。私にとっての高校くらい、とてつもなくインパクトのある、言語化に時間がかかる出会いがたくさんのこどもの人生にあることを強く願うし、誰かが未来の途方もなさに呆然としてたら、大丈夫だよと言って手を引いてあげる側になろう。と思っています。(その一環として中高生向けの教育プログラムGirls Unlimited Program を主催しています、検索してみてください、どこかで何かご一緒できたらうれしいです。)

途中1年抜けたのもあり、高校時代は本当にあっという間にすぎてしまい、晴子ちゃんとお話しできたのも、実は卒業してから30年経ってからでした。歳をとるとそういうこともあるって当時知らなかったので、同窓とはありがたくて嬉しいもんだなと思います。
次は、そんなみんなのひとりで、かつ晴子ちゃんと一緒にみんなが出会える機会を定期的に作ってくださる、優しくて面倒見のいいみんなの友達、江川智くんにバトンを渡したいと思います。