高校卒業から、なんと30年もたったのだそうだ。見えない未来の30年に比べると、過ぎ去った30年はずいぶんと短く感じる。別に波乱万丈でもない私の人生では、時間は概ね淡々と流れているのだが、ただこの30年間で、いったい何が変わったのかと考えてみる。
 高校時代の私は、美濃部家の次女で、同居していた祖父母にとっては末孫で、ベルギーからの帰国生で、「日本人学校」枠で入学した生徒で、女子サッカー部のキャプテンで、男子バレー部のマネージャーで、「みのべさん」とか「かな」とか「かなちゃん」と呼ばれていた。休み時間は顧問の先生にハンコを押してもらうために書類を持って職員室に行くか、他校の先生に練習試合を申し込むために公衆電話から電話をかけるか、売店にカロリーメイトを買いに行くか、早弁をするか、サッカーをするか、友達とおしゃべりをして過ごすか…そんな毎日だった。今思えば、ありがたいことにやたらと健康でほとんど体調を崩した記憶がなく、保健室がどこにあったのかも覚えていない。
 一方49歳の私は、ICUの学内サッカーチームAbnormalsのチームメイトだった同級生「いっぺー」の妻であり、二人の息子の母であり、さくらんぼ教室という学習塾の「松平先生」であり、英語教材の執筆をするライターであり、東京都女子サッカーリーグ3部所属のチアフル日野というチームの(最年長)選手で事務担当者であり、COLORSというママさんフットサルチームのメンバーであり、男女ミックスの個サル(個人フットサル)の常連参加者であり、老若男女のゆるいフットサルグループの運営担当者であり、次男の通うICU高校の父母の会会長であり、気づいたら自動的に東京都私立中学高等学校父母の会 中央連合会の理事とやらにもなっていた。年相応に首やら肩やら腰やら膝やら、身体のどこかがいつも少し痛くて、夕方には目がしょぼしょぼするのでブルーベリーサプリを愛用し、指の第一関節の炎症(へバーデン結節)の痛みを軽減するためにエクオールサプリも飲んでいる。
 高校時代の私のヒーローだったゴン中山選手から名付けた次男が、ICU高校サッカー部でFWをやらせていただけているのは、なんとも感慨深い。最初はICU高校のIにもCにも戸惑っていたが、今や私と同じくらい(もしくはそれ以上)の愛校心を抱くようになった次男。父母の会の会長就任について相談すると、「お母さんにとっても保護者としてこの学校に関われる最後のチャンスなんだからお母さんがやりたいか、やれるかで決めるべきだと思う」「お母さんが自分の学校に関わってくれることは嬉しいことでもある」そんな返信をくれた。クラスメイトにも、実は女子サッカー部を同好会から部活にしたのは、自分の母親だとプチ自慢をすることがある、と話してくれた。渡り廊下を走って往復していた高校時代の私に、いつか息子に自慢してもらえるよ、と伝えたい。
 そんな次男のICU高校合格を真っ先に祝福してくれた、元ICU高校教員の晴子にエッセイリレーを繋ぐ。