24期恭子からのバトンを受け取りました。私たちが3女(寮)で入寮の日に出会ったのは、24年前。ちょうど2000年ですか(確かにゾッとするわね)。恭子の第一印象は、三つ編みメガネの暗い感じで、正直友人になれるか不安でしたw恭子、キレイになったな。さて、15歳は私の人生を大きく変えた年でした。そのことをつらつら語ろうと思います。

私はいわゆる帰国生。6年のアメリカ生活になじめず、自分を変えたい!という思いで、渋谷の陽キャに憧れた、陽キャになりきれない中途半端な女子でした。人気者になりたい、JKとしてちやほやされたいという願望を持ちながらも、現実が追い付かず空回る日々。しまいには、友人と同調したいという理由で、友人の好きな人を「私も気になる~」とか言い出す始末。それに怒った友人から絶交宣言され、人生のどん底に落ちていました。

15歳の夏ごろ、私は友人との喧嘩という人生最大の絶望に、3女の寮で一人自分の不幸を嘆いていました。『私はクラスのあの子よりも不幸だ!』そうだそうだ。『同じ寮のあの子よりも不幸だ』そうだそうだ。なんなら、先生も、近所の人も!『路上生活している人よりも・・・』・・・んん?いや、家族と離れて住んでいるものの、ホームレスの人よりは私は恵まれているぞ???
『ああ、そうか。私は、“日本で一番不幸ではないのだ”。』
この事実が腑に落ちて、私は赤い目をこすりながら、3女の二段ベッドから抜け出し、食堂へとトボトボ歩いて行ったのでした。そして、決めたのでした。
『私が次に不幸を嘆くときは、私が日本一不幸になったときにしよう。そして、それは今後訪れないのだろう』

この気づきが、アラフォーになった今でも私の根底に流れています。これを気づかせてくれたのは、ICUHSの空気感や、寮での暮らし、友人たちのおかげだと思います。

現在の私は、結婚10年目、子が8歳と5歳ですが、3年前に仕事と子育てが両立できずに13年勤めた会社を退職し、徳島県神山町の限界集落へ移住しました。今は独立して、女性活躍推進活動をするべく法人設立の準備をしています。ICUHSの仲間は、みんな自立していてカッコよくて自分の人生を歩んでいる素敵な女性ばかり。ただ、社会に出て、私が普通の社会だと思っていたICUHSの仲間は上層部だったことを知りました。
私のような能天気な奴でさえ、仕事と育児がうまくいかなくて闇落ちするのに、世の中には、社会制度や固定観念や、教育の不足によって困っている女性が多くいる。私は、日本で一番不幸ではないからこそ、今、苦しい思いをしている人の力になるため、調査研究や政策提言などの分野から女性の生きやすい社会を実現したいと思っています。

万葉が24期エッセイリレーはじめてくれて、長年の付き合いのみんなの「いつもは聞けない話」が読めるのがとても面白い。万葉が白血病で倒れたときは肝が冷える思いだったけど、生きてるからLINEができるし、エッセイが読みあえる。それが無性に嬉しい。
さて、次のバトンは、麻衣子に渡したいと思います。麻衣子は、自分を持っていて軸がしっかりしている素敵な女性。いまや3児の母で、思いやりがあって、温かくて、暮らしも丁寧で大好き。麻衣子のエッセイを読むのが楽しみだ。