この学校、本当に音楽室が一つしかないんだろうか?これって、グローバルスタンダード?
ICUHSに入学して一週間、私は人知れずのんきかつ真剣にそんなことを考えながら、でもそこはかとなく浮世離れした疑問な気がして口に出せずにいた。今考えると至極どうでもいいことのような気もするが、当時の私にとってそれはまさに青天の霹靂で、それまでの常識が何一つ通用しない異世界に来てしまったような気持ちになったものである。私は帰国生でこそないが、ハイに来るまではちょっとだけ音楽方向にベクトルの傾いた学校に通っていたのである。中学校までの私の日常というのは例えば、学内に〇〇門下という派閥が当然のようにあって競い合っていたり、実技の中間・期末試験の順位によって定期演奏会に出られるか否かが決まったり、作曲の授業中に延々とダメ出しを喰らったり、”聴音”の試験で属七の和音に首を捻ったり、50室以上あった音楽室で”逃走中”やったり、水曜と木曜の放課後に笑えるほど怖いレッスン受けたり、球技がご法度だったり、卒業文集代わりの卒業作曲(混声合唱曲)を半泣きで執筆したり、とかまあそんな感じだった。幼い頃からずっとそんな調子で来てしまったので、ハイにおいて一般生と呼ばれるには私は本当はものすごく頼りなく、言うなればエセ一般生とか、一般生(仮免許)とか、隠れ一般生(日本)あたりが妥当だったと思う。お前みたいな世間知らずがICUHSに受かったら100万円やるよと言っていた中学の理科の先生の顔をたまに思い出す。先生、私はまだ100万円もらってません。
まあ、そんなこんなで色々あったけどとにかく助かった。なんせICUHSは世界中どこからやって来た人にも親切なのだ。私のような神の気まぐれで入れたような一般生(仮免許)でも大丈夫。体育の授業で初めてサッカーをやって自分でも引くほどオウンゴールを決めまくった時も笑ってドンマイって言ってくれるクラスの皆は天使に見えたし、聞こえた日本語を瞬時に他言語に変換して二重の意味で理解しているらしい友人の話を聞いて、それは絶対音感の言語版なのでは?と勝手に感銘を受け考察を深めたりして私なりに楽しい日々を過ごした。高校で楽器演奏を楽しむにも音楽室とレクチャールームと中庭があれば十分なのだと理解する頃には私はすっかりハイ生で、毎朝8時6分の西武多摩湖線乗って友達と三鷹の森に通うことが何より大事な日常になっていた。
ハイの生徒は基本的に帰国生と一般生というバックグラウンドを持って生息している。しかし私のように純ジャパ一般生でありながらむしろICU高校に来て初めて5教科を主体とした時間割に驚き、毎日こんなに勉強をして正気を保っていられるのだろうかと戦慄した一般生(仮免許)がいた事を、ここに告白しておこうと思う。そして学べば学ぶほど、知らない事を知らされる無知の知をハイは私に教えてくれた。ハイでの3年間は楽園に不時着できたラッキーな飛行艇の搭乗員みたいな気分だった。ICU高校を経てなかったら、それまで淡水だけで生きてきた魚がいきなり大海に出たら死ぬみたいに、私はずっと早い段階で社会を諦めてしまっていたに違いない。
ちなみにその後、ICUに進学した私は室内楽サークルで衝撃的な出会いをする。そこにはハイ出身の”宇宙人”が何人も生息していたのだ。「ぼくは冥王星からやってきたんです」とニコニコ挨拶してきた隠れ帰国の青年を見て私はあっけに取られ、そして思わず親指を鳴らした。そうかその手があったか!私の若干浮世離れした10歳までの偏見のコレクションなんて、いっそ最初からどっかの遠い星のせいにすればよかったのだ。気がつけばにっこりして、「実は私も土星にいたことがあったんですよ」などと口が勝手に喋っていた。かくして一般生(仮免許)から現金にも一瞬で土星人に転生することにした私は冥王星人との交信に成功し、今では一緒に住んでいる。かつて帰国生やら一般生やらだったみんなへ、今は一体どんな星で暮らしていますか?と聞いてみたい気持ちもあったりするのである。