好きなことをする
同じハンドボール部繋がりということで、木村悠生からバトンを受け取りました、32期の西村翔です。文章を読むのはそれなりに好きなのですが、書くとなると全くの未経験で醜態を晒すことになるでしょう。それでも、今の自分を形成してくれた、かけがえのない思い出も、苦い思い出もたくさん詰まったICU高校に最大の感謝を込めて、自分の人生の一部を共有できればいいなと思います。
私はいま、シンガポールに在住しており、普段の仕事とは別に、ハンドボールのシンガポール代表として活動しています。
そもそも、ハンドボールを始めるきっかけとなったのが、ICU高校の部活動でした。幼いころからソフトボールをしていた私は、入学当初、泥んこになりながら野球ボールを追いかけ、チーム一丸となって甲子園を目指すことを夢見て、野球部に入部しようと決めていました。しかし、蓋を開けてみれば、当時所属していた第二男子寮の先輩に、ふらっと連れられたハンドボール部にいつの間にか入部していました。ダイナミックなジャンプシュート、スピード感あふれるパスワーク、そして、目にも止まらぬ速さの豪速球を、キーパーと駆け引きをし、ゴールを決めたり、止めたりする先輩方の姿を初めて見たときは、ひどく興奮したことを、今でも鮮明に覚えています。その日以来、甲子園の夢は完全に頭から消え、ひたすらにハンドボールと向き合いました。ICU自慢の桜並木でラントレした時も、熟しきった太陽の下で、咳が止まらなくなるほど乾燥した砂埃が舞う時も、ボールでつぶされた銀杏でコート中異臭がした時も、練習後に松ヤニを落とすために極寒の水道水で手を洗った時も、四六時中ハンドボールのことを考え、三年間、真摯に、情熱を失わず、ハンドボールに取り組みました。結果は、大会で数回勝った程度で、弱小高校からの域を出ることはなかったですが、毎日が充実し、今でも親しくさせてもらっている友人達もでき、もう一度人生をやり直しても、また同じことをするだろうなぁと思わされるほど貴重な経験をさせていただきました。
高校卒業後は、シンガポール国籍を保持しているため、2年間の兵役に泣く泣く就くことになりました。生まれてからずっとシンガポールに住んでいましたが、日本の教育を受けていたため、シンガポール人の友達もおらず、はじめは文化の違いで驚きの連続でした。特に驚いたのが、食事をする時にフォークとスプーンを同時に器用に使って食事をすること。はじめは見よう見まねでやってみては、笑われることもしばしばありました。そんなこんなで、ハンドボールで培った体力と日本人特有の真面目さを生かし、幸運にも、士官学校に入学することができました。士官学校では、厳しい訓練の毎日で、丘を攻めては守っての繰り返しの日々が続いていました。シンガポールでの兵役は基本的には月曜日から金曜日は泊まり込みで訓練をし、週末は家に帰ることができます。しかし、土日は平日の疲れからほとんど何もせず、一日中寝ていることが習慣となっていました。そのため、ハンドボールからは少しずつ遠ざかり、いつのまにかボールにすら触れる機会がなくなりました。
数か月が過ぎ、士官学校の大きな訓練でもあるブルネイに遠征に行くことになりました。ここでは、サバイバル訓練を重点的に訓練しました。このサバイバル訓練が、私の兵役の中でも1,2を争うほど厳しかった思い出となりました。ヘリコプターで終着点が分からない遙か彼方に降ろされ、9日間で1日半分の食料を持って、駐屯地まで歩いて帰るという過酷な訓練でした。始めの5日間はひたすらナビゲーションをしながら、山道を、30kg近い荷物を背負いながら1日中歩き、次の3日間は水位が腰までほどある沼の中に滞在し、自分で木を切って高床式の小屋を作ったり、罠を作ったりして過ごしました。熱帯の国の沼ともなれば、早朝と夕方には、今までの人生で見た蚊を全部足しても足りないくらいの蚊が発生し、体中の関節が曲がらなくなるまで腫れあがるほど刺されました。こんなにも過酷な環境下で何日もすごし、想像できないほどの疲労と空腹で何もできず、ついに7日目の夜に何もする気が起きなくなり、ただただ寝転がり、星を見つめることにしました。このとき、体はクタクタで空腹で指先すら動かせなかったのに、脳だけはよく働き、いろんな考え事をしたのを覚えています。家に屋根と壁があることの喜び、これから一生どんなにまずくてもご飯を残さないと誓ったこと、なにかをやり始めたら何が何でも一生懸命やりぬくこと、一度信頼関係を築いた仲間は一生裏切らないこと等。今思えば、自分の信念や価値観は、この時に出来上がり、太い芯となって今の自分を形成しているのだと思います。またこの時、人間なんて小さな生き物で、いつくたばってしまうか分からないものだから、せめて自分の人生は精一杯好きなことをして、好きに生きていたいという思いが芽生えました。それと同時に、高校時代の楽しかったハンドボールの思い出が一気に蘇り、またハンドボールをしたいという思いが強まりました。
一年半が過ぎ、ようやく徴兵も終わりました。この間、ハンドボールをやりたくても忙しくてできず、ハンドボールをしたいという欲だけが積もっていました。徴兵が終わった次の日から、ハンドボールができるところを探し、なんと、代表チームのトライアウトが丁度行われていることを知りました。これは、ハンドボールにどっぷり浸れるチャンスだと思い、少しも躊躇わずにトライアウトを受けに行きました。当時、シンガポールはハンドボール協会が本格的に始動してから数年という若いチームで、レベルも日本ほどは高くなく、運良くトライアウトに受かることができました。そこからは、毎日、ハンドボールのことを考え、勉強し、鍛錬し続け、今年でなんと代表チームに入ってから、9年目が経とうとしています。9年経った今でも、ハンドボールへの情熱は冷めるどころか増す一方で、1週間のうち6日はハンドボールに携わっています。朝起きて仕事に行き、仕事が終わってからハンドボールの練習に行き、家に帰る頃には午前12時近くになっている。そんな生活を9年近く過ごしてきました。よく、20代らしく友達と飲みに行ったりしたくないのか?とか、もっと自分の自由時間が欲しくないのか?と聞かれますが、自分の好きなことを精一杯できていることだけで、恵まれているし、幸せだと答えます。東南アジア大会やアジア大会などの、普通は経験できないような貴重な経験もさせてもらって、ハンドボールをずっと好きで続けてきてよかったなぁと感じます。アラサーにもなって夢の話をするのも恥ずかしいですが、高校生の頃テレビで見ていた日本代表と同じコートに立つという夢をなんとか実現させようとまだまだ頑張りたいと思います。
皆さんもたった一度きりの人生、夢を追いかけ、好きなことを精一杯するのもアリなのではないでしょうか?