エッセイ・リレーを頼まれたときは、私のことを覚えていてくれて嬉しい気持ちが半分、そして自慢すべきことが思い当たれない自分について何が話せるのかな、とプレッシャーが半分でした。日本語をめったに使わずに過ごして来た20年の重さも感じました。けれども、ICU高校で受けた慰めと色んな美しい思い出、そして私が犯した様々な恥を考えると、何か話さねばならない気がしました。過去は美化する傾向があるとは思いますが、それでもICU高校に今でも感謝のきもちがいっぱいです。

学年でたった一人の韓国人でした。学年でたった一人の中国人であったウェイウェイと一年のころ同じ組で心強かった面もあったでしょうが、ICU高校自体が帰国子女が多く、少なくとも半分くらいは人生のどこかでマイノリティーであった経験があるといった感じで、どこの国出身とかは問題にならない自由かつ尊重の雰囲気でした。振り返ると、中学で人間関係で色々苦労しつつ学んだ教訓もあり、神のお助けもあり、心暖かい友達がたくさん出来て幸せでした。先生たちもみんな愛情深く、今考えても素晴らしい方々でした。ダンス部の先輩たちのカッコいいパフォーマンスに一目惚れして、ダンス部にも入りました。練習が大変ではあったけど楽しかったです。そしてこれは私の性格だと思うんですけれども、生徒会の会計になり、一つ上の先輩方も知り合うことができました。二年に上がり、生徒会で一緒に働いた先輩方の推薦もあり、戸惑いながらも生徒会会長に挑戦しました。結果は、他の候補とほんの少しの差で当選。

二年になって初めて大学進学について考えるようになっていた時期でした。小学3年の時から日本に住んでいて、途中の5年は韓国学校に行ったものの、どちらかというと日本が韓国より心地よいというか、近く思われてました。でもなぜか大学は韓国に戻らないと、という考えがありました。その時は、その選択が私を孤独かつ未知の道に導くだろうとかは全く考えられませんでした。ともかく、周りの皆とは少し違う勉強に励むべき方向になり、そのためダンス部をやめる決断をしつつ、生徒会長になるという矛盾な状況になってしまいました。会長に当選してから生徒会室に向かったある日を今も覚えています。やばいことになってしまった… 自分の状況を賢く判断できなかったことに対する自己非難、私と争った候補の方への罪悪感、これからどうなるのだろうという恐怖 。でも結果的には他の生徒会のメンバーたちのお陰で私の心にも再び平安が訪れ、校内で少しのイベントと改善があった任期を終わらせることができました。今考えても、ほっとします。当時生徒会の担当でいらっしゃった岸先生が、頑張った生徒会であったと励ましてくださったことも思い出されます。

二年が終わると同時に、父の仕事の関係で韓国に帰国することになりました。法学を専攻したのですが、それまで自分がクリスチャンだと思ってはいたものの、聖書に何が書いてあるのか殆ど知りませんでした。入試で心が謙虚になり、忙しい大学生活をしつつ教会で聖書を本格的に勉強しながら、みことばに従って生きようとする方々の姿を見かけました。それまで人生で色んな人を傷つけたことも、私が他の人たちに傷ついたことも根本的には罪の問題であることが分かりました。お祈りと検討を重ね、弁護士の道よりは神のみことばを研究し、イエス・キリストを伝える人になりたいと決断し、教会で色んな形で仕える訓練を受けました。罪や傷などの暗い話をしながらも励まし合い、たくさんの先輩や友達、後輩と一緒に仕えたのも高校時代くらいに大切な資産になりました。

教会で結婚し、夫の勉強と就職で香港に来て、二人の息子を育てています。何歳まで生きるかは分からないけど、どうしたら後悔のない人生になれるのだろうと悩みながら新しい試みを準備しています。香港は私にとっては日本や韓国に比べて孤独になりやすい所ではあります。でも、色んな人たちと何かをやることが好きで、そのため慎重さや深さが不足しかねない傾向がある私にとって必要な訓練である気もします。同時に、喧嘩しながらもそのこどもの頃まで遡りながら親しくなっていく夫や、育っていく子供たちを見ながら、立派なことができなくても、命を育むことはそれ自体で価値のあることなのだな、と幸運に恵まれた気がします。ともかく、今までの失敗や受けた恩恵を基にして、小さくても意味深いことをしたいと思うこの頃です。