高校時代はバレーボール部、ずっと2組。通学時間1時間半の調布バス組(マイナー)だった私は、スノちゃんにFを喰らわないように頑張り、部活と勉強であっという間に高校時代が過ぎた感じです。当時は(なぜか)アーノルドシュワルツネッガーが大好きで、好きでもないのに何度も映画に付き合ってくれた友に感謝です。
また、アメリカからの帰国子女だった私は、高校時代はヨーロッパの知識が全く欠けておりました。いろんな国からの帰国子女がいっぱいいたのに、知ろうともせず、もったいない事をしました。(シュワちゃんはオーストリア人だったけど)

そんな私が仕事の関係で赴任し、アーノルドシュワルツネッガーとは正反対な見た目の主人に出会い、結果的に20何年住んでいるルクセンブルク大公国についてお話したいと思います。

皆様はルクセンブルク大公国をご存知でしょうか。
神奈川県くらいの大きさで、西はベルギー、東はドイツ、南はフランスに囲まれた世界唯一の大公国です。
公用語は3つあり、ルクセンブルク語(ドイツ語の方言みたいな言葉)、ドイツ語、フランス語ですが、ポルトガルからの移民も多く、最近はそれ以外の移民も増えているため重要なお知らせはこの4つの言語と英語で書かれている事が多いです。
国は国民を増やす政策を進めており、二重国籍も積極的に進めており、祖父母の代がルクス人だったら、ルクス国籍を取れたり、ルクスに生まれていれば、18歳になったら国籍をもらう事が出来ます。
外国人の比率は2019年の統計によるとなんと人口の47.5%!
子供の数で人口を増やすのではなく、移民で増やす政策は、社会保険料や年金を支える上でも賢いなと思います。

また、大国に囲まれているので、ニッチな産業を進めて差別化を図る政策で生き延びており、少し前は鉄鋼業(世界2位の鉄鋼業の会社の本部はルクセンブルクにあります)、そしてルクセンブルク籍投信(日本でもケイマン籍と並んで販売されていますが)をメインとする金融業、最近は宇宙産業にも国を上げて進出しています。
特に金融業では人を集めるために、お給料もさることながら、休暇も他の業界より多めにしたり、近隣諸国からの越境労働者も、まるで東京に神奈川、千葉、埼玉から人が通勤するように通ってきます。越境労働者は税金をルクスで払うので、ますます潤う政策です。
シェンゲン条約という欧州枠内を自由に行き来出来る条約は、ルクセンブルクのシェンゲンというドイツとフランスの国境近くで結ばれました。

そんなルクセンブルク、コロナ禍の初期に近隣諸国から、国境閉鎖の憂きに会いました。
まだリモートワークの準備が整っていない時に、まずはドイツが、次はフランスが、そしてベルギーが、次々と国境を閉鎖された時には、仕事が回らなくなると青ざめました。
幸いビジネス絡みの手形的な書類がすぐ出来、それを持っていれば国境を超えてくる事ができましたが、もちろん遊びに隣の国に行くなんてもってのほか。というかロックダウンでお店もスーパー薬局以外は全部閉まって、イタリアのように外出禁止令は出なかったものの、国に閉じ込められるというのを経験しました。
リモート勤務も、本来は働いている国で税金を払うのですが、リモート勤務を続けるには外国にすんでいる従業員が税金をルクスに払い続ける当別な協定が必要で、各国ごとにそれが結ばれるため、毎回、いつ会社に戻るべきなのか、という話題になると協定が延長されるかどうかも大きなポイントとなっています。(現在の期限は3月末です)

多言語、多文化(欧州メインですが)のルクスのいいところは、外国人が珍しくなく、それが当たり前である事です。
もちろんルクセンブルク人コミュニティもあり、一時期は政府の主要メンバー及び警察のトップがほとんど主人の高校出身で知り合いという時期もありました。ルクセンブルク語を話さない、特に話好きなラテン系(主にフランス人)に嫌な感情を持っているルクス人は多いのですが、自分がその言語が話せるとすぐにその言語を話しちゃうルクス人にも問題があるとも思います。
主人はフランス語もドイツ語も嬉々として話し仲のいい友達もいるのに、自分が気に食わない人を見かけると、とりあえず、このフランス人め!と罵り、何かあるとドイツとは平和条約をまだ結んでいないとか、自由な発言をしています。
でも、その自由さがEUを表しているのではないか、と日本人の私は思います。
みんな違ってみんないい。必ずしも足並み揃っていなくても、EUとしてやって行こうという気持ちを特にルクセンブルクにいると感じます。

EUはコロナの政策もバラバラですが、規制を強めたり、弱めたりしながら、少しずつWithコロナに向かっている気がします。
まだまだ強制隔離や自主隔離があり、日本には今は余程の理由がない限り帰れませんが、帰れたら皆さんと会っていろいろと語り合いたいです。
それまでお元気でお過ごし下さい。