水泳部つながりで、金子氏よりバトンを受け取りました。
なぜICU高校に入ったのだろうか・・・。海外生活の経験もなく、日本の市立小・中学校で育った典型的な理系少年だった私が。
中学3年の夏休み、通っていた塾が“経営破綻”。途方に暮れる中、当時のアルバイト講師の方が個人指導を引き受けてくれました。受験校を選択する際、私の地域では知られていなかったICU高校を強く推薦してくれたのがこの方(後に、この方がICU大学生であることが判明)。塾が破綻しなければ、たぶんICU高校とは巡り合わなかったのではないかと思います。
晴れて入学したものの、英語授業についていけず悩まされる日々。1年生の夏休みには転校も考えるように・・・部活の仲間やクラスメイトとの出会いがあり、乗り越えることができたのも、今となっては懐かしい記憶です。特に、水泳部の仲間と卒業から40年間ずっと付き合いが続いているのは、人生の宝ですね。
ICU高校の独特?の文化の中で過ごした3年間で、大きく考え方・発想・マインドセットが変わったように感じます。入学時には英語に嫌悪感があったにもかかわらず、高校2年生の時には地元の姉妹都市交換ホームステイで渡米。その後、同活動(国際友好協会)の学生サポーターとして社会人になるまで携わることにもなりましたし、この会で知り合った方と北米放浪の旅にも出かけていく積極性が出てきたことも、高校時代が私にとっての転換期であったと感じているところです。
人生とは邂逅(かいこう)である、とも言われますが、振り返ってその通りだと感じています。
大学院を卒業後、鉄鋼メーカーにエンジニアとして就職。製鉄所勤務となり、高温(1600℃とか)の溶けた鉄を扱う工場での技術担当からキャリアがスタートしました。24時間365日、動き続ける現場で、ものづくりに没頭していました。それが一転、10年後には米国大学院への留学で基礎研究を行うことに(渡米してすぐに911。あの衝撃・経験は忘れられません)。ただ、この時にできた人とのつながりが、実は10年後・25年後に思いもよらない形で再びつながるとは想像していませんでした。
約10年後、出張でブラジルへ。現地案内・通訳の方も同行しているという安心感の中、郊外での食事へ連れて行ってもらうと・・・皆さんお酒で気分が良くなり、私は忘れ去られてしまい気づくと一人ぼっち。現金もなく、泊っている宿もうろ覚え。ポルトガル語も話せないのでタクシーも怖くて使えない。メンバーに電話を掛けても、誰も出ない。手元に残るは、当時ブラジル在住であった米国時代の友人の連絡先のみ。藁をもつかむ気持ちで電話をかけると、奇跡的に同じ市内に2週間前に転勤してきたとのこと。救出してもらい無事に宿へ帰還。
約25年後、2つのことが同時に。1つ目は、米国留学時の大学研究室と連携していた企業(当時は競合相手)がM&Aにより仲間になったこと。当時のメンバーとの再会時には、昔話が止まりません。2つ目は、留学時の研究室仲間が日本で教授に就任しており、昨年その教授のもとで社会人大学院生となったこと(現在、学割が使えます;苦笑)。
還暦も近づき、最近若い人から“振り返って何が大切でしたか?”と聞かれることがよくあります。そんな時は、“7~8割は人とのつながりかな”、と答えています。あらためて考えると、そのつながりも、少しだけ勇気を出して新しい場所に踏み出した先に生まれていたようにも感じています。
人生ほんとうに色々ありましたが、結局は偶然の出会いの連続だったのだと思っています。その最初の大きな偶然が、塾の経営破綻から始まったICU高校との出会いだったのかもしれません。高校時代に、同じ空間・時間を共にしてくれた方々に、本当に感謝しています。
次の走者は、高校・大学ともに同窓生である石井裕子(うさぎ)さんにお願いします。
