I C U高校における思い出はたくさんあります。
でも考えると、私はこの時期に英語が嫌いになりました。
私はイギリスとベルギーにいた帰国子女ですが、ロンドンにいたのはまだ言語を話し始めの幼少期。帰国したら1ヶ月で英語は綺麗さっぱり忘れてしまいました。
ベルギーでは小学生の大半を過ごしました。ベルギーは地域によって主要言語がフランス語の地域とオランダ語の地域がありますが、私はフランス語が主要言語となる現地の小学校に通っていました。
そして帰国後もフランス人の家庭教師に来てもらったり、帰国子女用のフランス語の語学学校に通ったりしてフランス語を忘れないようにしました。
フランス語が身に付いていたので、アルファベットには馴染んでおりスペルもすぐに覚えられ、日本の中学の英語は簡単でした。
ところが!I C U高校に来たら帰国子女といえば英語圏が大半。一般生が最初に驚いた、と言う普通に英語で会話する同期生たち。そしていきなりアメリカ人やイギリス人の先生による英語のディスカッションの授業。
私の中学校の先生は全くの日本語発音の年配の先生でした。中学レベルの英語の読み書きは簡単でしたが、ヒアリングや会話は全くできません。フランス語なら簡単に聞き取れるのに、なぜ?という程、英語は今も聞き取りができません。
大学受験を英語の代わりにフランス語でも受けられると知った時から、「私にはフランス語がある!」と英語には拒絶反応。
大学の卒業旅行にはフランス語圏であるニューカレドニアを訪れました。ここには日本人観光客が多く訪れます。でも日本人でフランス語を話せる人は少ない。現地のオプショナルツアーに参加したら、早速現地のドライバー兼ガイドの人に他のお客さんへの通訳を頼まれました。
その時に思ったのです、『ここなら日本人観光客と現地の人の役に立てる!』。
卒業旅行だったので、既に日本での就職先は決まっていました。でも、その会社の有給休暇を利用して(採用してくれた人事の方には、ごめんなさい)再びニューカレドニアを訪れる計画を立て、フランス語の履歴書を用意して再就職活動をし、めでたくニューカレドニアの旅行会社の日本人ガイドとして採用されました!
そんなわけで、1991年4月16日以来フランス領海外県ニューカレドニアに住んでいます。当時はフランス語圏というだけで気にしていませんでしたが、ここは今も国はフランス。フランス領土なのです。ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、1984年と2024年に独立問題による大規模な暴動が起こりました。この話は政治的な問題になりますのでここではノーコメントとしますが。
今年(2026年)で在住35年になります。
私のように長く住んでいる日本人は多いです。住み心地が良いのです。
その理由の1つは、気候の良さ。最近の北半球の日本やフランスなどの夏は40℃という猛暑になっていますが、ニューカレドニアは夏でもせいぜい35℃まで。こちらには四季はなく、夏と涼しい季節の2季。その涼しい季節の気温は朝晩は15℃、昼は25℃ぐらいという、日本の春ぐらいの気候なので暑過ぎず寒過ぎず、過ごしやすい気候です。
2つめの理由は、自然と現代生活の共存。面積は四国ぐらいの土地に人口26万人と人口密度が低いので、雄大な自然が残っています。でもフランスのおかげで、インターネットや医療設備、インフラなどが整っていて、必要最低限の現代の生活ができます。
そして3つめは、親日であること。あまり知られていませんが、ニューカレドニアには日系人がいます。ここのニッケル鉱山で働く為に、1892年から出稼ぎに来た合計5000人程の日本人労働者の子孫たちが今や約1万人。日本人観光客が来る前からニューカレドニアの人々は日本人のことを知っていたのです。
更に今やアニメや日本武道などの日本文化が人気ですね。
留めはフランスの教育方針。中学校で第2外国語を選択しなければなりません。ニューカレドニアでは日本語を選択できる学校が多数。日本人観光客には「こんにちは!」と現地の人から声がかかります。
もう1つ、有色人種に対しての人種差別がないこと。1853年にフランス領土になってから当然フランス系白人が多く移住して来ましたが、それ以外にも多様な人種がいます。26万人の人口のうち、先住民のメラネシア人が約半分。30%がフランス系白人。残り20%の中には日本人と同じ時期にニッケル鉱山に出稼ぎに来たベトナム人やインドネシア人の子孫、日系人、アルジェリア人、他のフランス領土のタヒチや、マルティニック、レユ二オンなどから移住してきた人たちが住んでいます。よって、ヨーロッパに住んでいた時に感じた有色人種に対しての差別がありません。
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