高校生の頃の一番思い出に残っている授業は渡部淳先生の「政治経済演習」。「人はいつオトナになるのか」というテーマでリサーチし、冊子や展示にまとめ、文化祭でクイズやスキット劇を発表したのを思い出します。当時、マスコミにも注目いただき、読売新聞、日本経済新聞、日本教育新聞などで紹介されました。大事に取ってあった新聞の切り抜きを見返して、よくやったなーと懐かしんでいます。今、もう一度やれと言われてもたぶんできないでしょう・・・。

さて、「人はいつオトナになるのか」
成人した時?
経済的に自立した時?
親元を離れた時?
結婚した時?
子どもを産んだ時?
いろんな仮説を立ててみた結果、当時出した「さしあたりの結論」は、「オトナとは?」「子どもとは?」という〝問い〟の存在に気づくこと、そして「こんなオトナになりたい」と考えることがオトナへの第一歩、ということ。
本当の結論は自分が大人になればわかるんだろうと思っていました。

あれから30年経って、さて、答えは出たか?というと、まだ答えが出ません・・・。

あの問い「人(わたし)はいつオトナになるのか」はずっと頭の片隅にありました。
成人した時、親元から大学に通っていたので、大人になった実感はありませんでした。
大学を卒業して就職した時、親元を離れましたが、新入社員は教わることばかりで、大人になった実感はありませんでした。
結婚した時、夫に頼る気持ちが大きく、大人になった実感はありませんでした。
子どもを産んだ時、わからないことだらけ、人に助けてもらうことばかりで大人になった実感はありませんでした。
3人の子どもを授かり、長男はこの春、就職して自立しましたが、未だに大人になったという実感がありません。

子どもの頃からギリギリ癖があり、時間に余裕を持つことがなかなかできなかったわたしは、3人の子どもを保育園に預けて、出勤する時もいつもギリギリで、猛ダッシュで電車に飛び乗る日々。保育園の送迎がなくなっても、なぜか駅に向かう時はいつもギリギリの猛ダッシュでホームに駆け込む日々が続きました。我ながら「いい歳のおばさんがいつまで高校生みたいなことやってるんかな( ̄O ̄;)」と自分に突っ込みを入れながら、今日に至ります。

さて、孔子先生は、
「五十にして天命を知る、六十にして耳従(したが)う、七十にして心の欲する所に従いて矩(のり)を踰(こ)えず。」(50になって天命がわかり、60になって人の言葉が素直に聞けるようになり、70になると思うままにふるまって道をはずれないようになった」と説かれました。

いつオトナなるのか(なったのか?)、未だにわかりませんが、この4月に50の大台に乗りましたので、そろそろ天命を知りたいと思う今日この頃です。