2026年を迎え、年女で還暦と言われても信じられない思いである。
ICU高校の頃を思い出すと、画素数の粗い昔のビデオを再生している様で、楽しかったいろいろな出来事が心によみがえる。
父が中東のイスラム教の厳格な国に赴任したため、中学生時代をほとんど家の中で過ごした。
在籍していたアメリカンスクールは家から近かったが、女性が外を出歩くことは危険で、車での移動。外国人も、肌の露出は出来ず、公共の場所で遊ぶこともなかった。日頃の遊び相手は弟と家に住み着いた犬や猫やリクガメだった。
帰国してICU高校に入学した時は「一人で電車に乗ってどこにでも行ける」喜びと解放感でいっぱいだった。勉強よりも当たり前に過ごせる日々が楽しすぎた。
入学してすぐに友人がつけたあだ名はなぜか「ララミー(Laramie)」。先生方にもあだ名で呼ばれた。 
1年生の時の担任は有馬平吉先生で、優しく寡黙なのにキリスト教概論を教える時は熱かった。当時はあまり自分の事としては捉えることが出来なかったが、授業は興味深かった。
2年生、3年生とたくさんの楽しい友に出会えて、目一杯遊び、あっという間に過ぎた3年間だった。

大学に入学してから私はキリストを信じてクリスチャンになった。まず有馬先生に知らせたいと思い手紙を出したら、教会まで会いに来て下さった。その後もずっと先生との交流が続き、人生の節目節目に安否確認をして下さるのは有り難いことである。沖縄に住んでいるため、ICU高校が修学旅行で当地を訪れた折には、引率の有馬先生、鶴松先生、中川先生ともお会いした。「今のICU高校生はみんな良い子たちだよ。でも大変だった5期生は忘れられない学年だなぁ。」と笑っておられた。あの頃、先生方は随分年上だと思っていたが、あまり年の差を感じず、失礼ながら同窓生の様に感じて嬉しかった。

人生の歩みの中では、「こんなはずではなかった」「なぜ自分にこんなことが」ということが突然起こる。
願っていたものを手に入れても、失うことがある。「あの時ああしていれば」と後悔することもある。
どうしても避けられないこと、他人に巻き込まれたり、自分の失敗が引き起こしたことなど様々だ。
諺に「災い転じて福となす」 「人間万事塞翁が馬」などがあるが、聖書にはこの様な言葉がある。
「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを私たちは知っています。ローマ人への手紙8:28」
災いや苦しみも後に振り返ってみれば、何かの益になっていることがあるかもしれない。少し成長したかもしれない。別の道が開かれたかもしれない。結局何も変わらずにその意味も理解出来ないままの事も多い。しかし頭で理解出来なくても、「すべてのことがともに働いて益となる」のだ。
自分の人生の方向が変わったことで、出会った人々がいる。また過去の存在だった同級生が大きな支えとなった。直接会えなくても、かつては無かったSNSで繋がっている。彼らの存在、言葉、笑顔のお陰で、歩き続けることが出来る。会えばいつでも笑い合うことが出来る仲間だ。神から与えられた贈り物だと信じている。これからも出来る限り、距離が離れていても、会える時には会いたい。
還暦とは干支が一巡して、新しい人生の始まりを意味するらしい。楽しみである。この旅路を大切に、しっかりと心に刻んで歩んで行きたい。