「エンジョイベースボール」。エレベーターから降りてきた友人が開口一番そう言って笑った。慶應義塾高校が甲子園で全国制覇を成し遂げた夏の終わり、とあるビアガーデンで毎年やっている高校の集まりのときだった。
甲子園を勝ち抜く慶應野球部選手の長髪は「エンジョイベースボール」を象徴していた。
40数年前、私たちも髪を切らずに高校野球をやっていた。当時は相当に貴重な存在で、もの珍しさだけでテレビや新聞によく取り上げられた。先の友人の発言は、「お前らもう40年以上前からやってたよな」とニヤついたのだ。
野球部に入って野球をやることは、私が国際基督教大学高等学校を志望した明確な理由の一つだ。小学3年で転校したとき、新しい学校に溶け込めたのは一緒に野球をやってからだった。ICU高校だったら私の実力でも正三塁手になれるだろうという打算的思いもあった。
高校3年間、といっても部活をやるのは2年と4ヶ月だが、放課後毎日グランドを走り、準備運動をし、筋トレを行い、キャッチボールをして、トスバッティング、シートノックをやった。土日は他校がやってきて練習試合をした。
プロ野球を観ていても、高校野球を観ていても、私が思い描くバッターボックスはICU高校のグランドだ。打席に立てば、遠くレフトの第2男子寮、その手前のサッカーゴール、左中間奥に学校校舎、センターの体育館とその前のプレハブ、右中間はもう一方のサッカーゴールと大学の並木道、ライトにはバスケコートとテニス場が見える。
グランドの風景は、深く私の中に染み込んでいる。ボールがバスケコートの手前のあの位置くらいに落ちたなら何塁まで行ける、サッカー(ラグビー)場までいったらバックホームしても間に合わない、など。打球の行方と走塁、守備の体系は高校のグランドの位置関係に当てはめれば想像できる。
甲子園につながる高校野球は硬式野球で、ICU高校も硬式野球部だ。硬式野球は当然ながら硬球を使う。硬球は重くて、硬くて、大きい。その重さ、硬さ、大きさが絶妙で、私は硬球に信頼を寄せる。手に取れば、そこから始まる投球、捕球、守備、バッティング、走塁まですべてにつながる。当たれば痛く、雨に濡れれば使えなくなってしまうが、バットの芯で捉えたときの何とも軽やかな感覚と鋭く弧を描いて弾け飛んでいく打球の爽快感は何ものにも代えがたい。
「エンジョイベースボール」の真意は「(よりレベルの高い)野球を楽しもう」だという。胸を張れるような野球ではなかったかもしれない。今となっては髪を切っても切らなくてもどちらでもよかった気もする。
ただ、間違いなく高校3年間毎日野球をやり毎日硬球を手にした。そのことに私はとても満足している。
