一般入学で入ったICUHSでは帰国生たちが当たり前のように英語で会話していることに度肝を抜かれたり、基礎英語で鍛えたネイティブっぽい発音に自信を持っていたのにそんな自信は瞬く間に打ち砕かれたりしたことも今やいい思い出です。
何も考えずに上の大学に行こうと思っていたのに、いやそれでは夢の一人暮らしができないぞと気づいて、そんなに裕福ではなかった我が家では地方の国立大学に行くしかないと思い立ち、地方の国立大学をいろいろ検討した結果、関西の国立大学にうっかり受かってしまったのも今やいい思い出です。
そんないい思い出たちよりも私の人生をとにかく大きく変えてしまった出来事について、今日はエッセイを書きたいと思います。

それは私が夫の転勤に伴ってアメリカ・アラバマ州にいたときのことです。二人目の子どもをアメリカで出産して、忙しい日々を過ごしていたある日のことでした。

頭痛で目が覚めました。頭痛の中病院に行き、そこでMRIを取り、脳動静脈奇形だということが分かりました。
脳動静脈奇形というのは、生まれつきの脳の奇形で、脳の中で、動脈→毛細血管→静脈という順番で血液が流れるはずのところ、毛細血管を通らずに、動脈と静脈が異常につながって血管のかたまりができるものです。この血管のかたまりは10代から40代で出血すると言われています。(chatGPT調べ)

これがこのとき見つかりました。かなり大きなかたまりでした。いつ爆発するか分かりません。このときはサイバーナイフといわれる治療をして、その後数年でかたまりはなくなるだろうと言われ、日本に帰国しました。

ところが、それから数年後に脳出血してしまったんです。(ちなみに一回目の出血も二回目の出血もどちらもワインを飲んだ次の朝のことです。皆さん、ワインには気をつけましょう!)
この脳出血の直後は一時的に記憶がなくなりました。夫の顔も母親の顔も思い出せません。出身大学も思い出せず、同じ近畿圏の別の大学の出身だと言っていました。子どもたちが見舞いに来ても、何でこの子たちこんなところにいるの?ぐらいの認識でした。
私には記憶が全くないんですが、夫はこのときICU(集中治療室です。国際基督教大学ではありません、あしからず)に入っていた私の様子を克明に覚えていて、今でも時々話してくれますが、頭とか顔がものすごい膨らんでいたとか、まあ聞きたくない話ばかりです。

このときどうやって夫のことや子どもたちのことを思い出したんだろうと考えました。小さい頃から脳出血の直前までの記憶は残っているんです。そうした記憶と、現実にいる夫の様子や子どもたちの様子をつなげ合わせたのかもしれません。分かりません。どうやったんでしょうか。詳しい方、教えてください。

とにかくこの頃の私の記憶は曖昧です。看護師に言われたことを守れず、部屋からいなくなって部屋にセンサーをつけられました。トイレに行って間違えて看護師を呼ぶ非常ボタンみたいなボタンを押してしまい、かなりきつく注意されました。何で怒られたのか意味も分からず、戸惑っていました。何で怒られているか分からない。まさに子どもみたいですね。
その後、リハビリを本格的に行える病院に転院し、ハードなリハビリに耐えて回復して、今に至ります。

そしてこの脳出血で結構大変なことが起きました。おそらく元々の私はかなりの左脳人間(言語野が活発に動き、言葉で物事を考えるタイプ)だったんですが、脳出血で左脳がほとんどなくなってしまったんです。今でもMRIを取ると左脳はほぼからっぽです。

ここで右脳と左脳について、再びchatGPTに説明してもらいます。(ありがとう、chatGPT!)
左脳の主な働きは、言語(話す・読む・書く・聞く理解)、論理・分析(計算、順序立てて考える)、細かい情報処理(1つずつ処理する)。
右脳の主な働きは、イメージ・空間認知(地図を読む、位置感覚、形の把握)、直感・感覚(ひらめき、全体をパッととらえる)、感情や音楽の処理だそうです。

もともと得意でよく使っていた左脳が使えないとなると、右脳を使うしかありません。言葉で物事を考えることはめっぽう苦手になり、感覚的にしか物事をとらえられなくなりました。感覚で感じたことを言葉で表現することが、かつてはとても得意だったのに、すっかり苦手になりました。

それから、耳から聞いた情報を記憶しておくことがめっぽう苦手になりました。目で見ただけの情報を覚えておくことも苦手になり、かつては家族内で一番強かった神経衰弱でボロ負けしています。

そういう大変化を経て、でも何とか社会復帰して今は心理師として働いています。自分ではこの体験を通して違う自分に生まれ変わったと思っています。この件の前後でいろいろなことが変化したと感じています。まあその後も三人目を産んだりしたわけで、これもまた大きな変化でしたが。
それにしてもこんながらっと人が変わる体験、なかなかできないですよね。

夫にこの頃の体験について再度聞いてみました。救急車を呼び、私がICUに入院している間ずっと「死」を感じていた夫曰く「生きてるだけで丸儲け」だそうです。

というわけで、施井真希子さんから受け継いだバトンですが、さて一体誰が次は受け取るんでしょうか…。お楽しみに!