石原裕子ちゃんからのバトン受け取りました!!!ありがとう。
ICU高校や同級生たちと久しぶりに縁がつながること、本当に嬉しい。楽しい!!!
受験のきっかけは母だった。「ICU高校に受かったら電子ピアノを買ってあげるよ」。
さて、スティーブ・ジョブズの「connecting dots」のスピーチを聞いたことがあるだろうか?振り返ってみると、今まで無関係に見えた点のような事象が実は自分の人生において全て意味があり役立っていた、という言葉が印象的な伝説のスピーチである。
私は千葉に生まれ、幼少期の6年弱をアメリカで過ごした。父の転勤についていったのだが、全く違う気候、人種のるつぼの社会、食事の違い、全てのことが子供だった私にも衝撃的だった。アメリカの文化の良さを吸収しながらも、日本のアニメや漫画、お菓子や食事、そして夏祭りや四季の移り変わりなどを恋しく思う日々を過ごしていた。「日本の文化って日本特有なんだ。恋しいな、愛おしいな。尊いなあ」。国が違えば何もかもが違うということに、早くから気づいていたのだと思う。
千葉に住んでいた私は受験は千葉の高校しか考えていなかった。が、電子ピアノに釣られて受験したのがICU高校だった。受験&面接が必要だったため勉強をしたが、受験した日、塾の先生に「落ちたと思います」と告げていたのを今でもはっきりと覚えている。
が、神様のいたずらが働き、振り返ったら大事な点の一つとなるICU高校での生活が始まる。
授業がレベル別であったり、制服と私服が混在していたり、日本語と英語が混じりながらの会話が常だったり、男女の比率がおかしかったり、先生が一番先生らしくなかったり(笑)。どれをとっても愛してしまう、個性と自由溢れる高校生活を過ごした。幼少期とこの時期に強く感じることがあったとしたら、『世の中の「常識」とか「正解」って国や教育や置かれている環境、そして個人の捉え方でずいぶん違うんだ。絶対的な正解って実はすごく少ないんじゃないか』、ということだった。
現在私は50歳で、長崎県の離島、壱岐の島で70年続く老舗旅館の女将をしている。この島は南北に17キロ、東西に15キロのひしがたの形をしており、福岡から船で65分。魚介類はもちろん、野菜やお米も採れ、壱岐牛や壱岐味鶏などのブランド牛・鳥もいる食料自給率100パーセント近い食の宝庫である。またこの小さな島に神社庁に登録されているだけでも150社、それ以外の小さい祠なども合わせると約1000の神社がある。神々がいるといわれる島である。
12年前に嫁いだのだが、振り返ると私はわざわざここに来るために、今までの人生があったのではないかと思ってしまう。
新卒で入ったP&Gという消費財メーカーで10年の間に学んだマーケティングや広報という仕事は、その後の群馬県の人口2万人のみなかみ町での地域おこしに役立った。主観や感情や前例で決められていた事業を、客観的データと戦略思考を根拠に整理し、あるものは強化し、それ以外のものはやめる決断をした。結果、観光客を増やし、町のブランドイメージを改善させて、それを数字で証明した。広報スキルも面白いぐらいに効果を発揮し、草津や伊香保以上の存在感を地元メディアで出し、知事の目にも止まった。最終的にみなかみ町の人が自分の町を誇りに思ってもらえるようなとりくみに携われたと自負している。ここで活躍したことで、嫁ぎ先の先代の女将から跡取りの嫁にリクルートされる。
たまたま1年だけ働いた200室のリゾートホテルでは、どうやって稼働を上げるか、お客様のおもてなしとは何か、売り上げを上げるツールはどんなものがあるか、などをたくさん学んだ。5年後、平山旅館という8部屋の老舗旅館の後継ぎに嫁いだ時、この経験が生きた。通年で3通りしかなかった旅館の宿泊料金を閑散期と繁忙期で6種類を作り、メニューが少なかった飲料の種類を約2倍増やし、売店の品揃えを充実するなどして、過去10年赤字だった旅館を2年で黒字化することができた。
壱岐の島の人がご先祖さまや氏神さまを大事にしていること。700年続く壱岐神楽が年間約200回、島の至るところで奉納されていること。お十夜という壱岐独特のご先祖供養が仕事より優先され、お盆には全国にちらばる島出身者が大勢お墓参りに戻ってくることなど。アミニズム思想と神仏が共存していた昔の日本の原風景がまだ残り、ご先祖様を大事にするこの島の文化に、地元の人より感動している。そして、これこそ次の世代に受け継ぎたいと思うのは、幼少のころ、日本特有の文化が特別だと思い、恋しい、尊いと思ったあの経験があったから。
今私は旅館経営だけでなく、この島の文化を通じて昔の日本の原風景を多くの人に知ってもらおうと奔走している。
そういえば結局、電子ピアノは買ってもらっていない。
ICU高校合格のご褒美は、今までとこれからの刺激的な人生になり変わっていた。
バトンは3年の時のクラスが一緒だった、みわしのへ繋ぎます。50歳にもなっても昔の呼び名で呼び合えるのっていいね。