お久しぶりです、24期の藍(旧姓:浅井)綾子です。今回、24期のアンカーとして執筆させていただきます。
バトンを渡してくれた雄宇とは、留学中に神谷勇助くんと3人で、それぞれの留学先を訪ね合いながら旅行したことを思い出します。あの旅には、今振り返っても他にないハプニングや笑いが詰まっています。コロラドからミシガンに移動する際にフライトに乗り遅れた経験は、以来、フライトに遅れることはなく、今では笑い話のひとつです。その後も数年に一度のペースで会い、今では家族ぐるみで交流が続く大切な友人です。
現在は南カリフォルニアに暮らし、日系企業で組織開発の仕事をしています。私の仕事では「AI」という言葉が2つの意味で使われており、一つは個人や組織の強みを活かす「アプリシエイティブ・インクワイアリ」、もう一つは人工知能を活かした新しい組織づくりです。いずれも幅の広さと奥深さに触れるので、仕事の面白さと難しさを実感しています。
気づけば、人生の分岐で思い出すのが、ロバート・フロストの詩「The Road Not Taken(選ばれなかった道)」です。アメリカの教科書ではよく取り上げられるので、目にした方や耳にした方も多いのではないでしょうか。私がこの詩に出会ったのは小学校のESL。当時は「まだ人の足跡が少ない道」を選ぶことが新鮮で、挑戦する勇気をくれる詩として読んでいました。けれど今は、分かれ道で迷うことや、選ばなかった道に戻れない覚悟の想いを描いた詩として受け止めています。年齢を重ねるにつれて、同じ詩の見え方が変わったのを実感します。
私の人生で繰り返し現れる分岐は「日本」か「アメリカ」かという選択です。ICUHSを卒業後、大学からアメリカに渡り、大学院を終えるまでそこで過ごしました。その後、「日本に帰るか」「アメリカに残るか」の選択で日本での就職を決意。東日本大震災をきっかけに「悔いのない人生を送りたい」と思い立ち、海外勤務に再挑戦しました。転職後、中西部の州での事業立ち上げに数年間携わり、再び「日本に帰るか」「アメリカに残るか」の選択に直面。その後、新しい仕事の機会に出会い、さらに夫との出会いから国際結婚を経て、アメリカに定住する道を選びました。夫も中国生まれの元サードカルチャーキッズ。母国も第二の母国であるアメリカも同じくらい大切に思っており、結婚は「どこの国で暮らすのか問題」への向き合い方が一致したことも、大きかったです。最近は長女が生まれ、互いの母国の文化で娘にも体験させたいものがいっぱい。きっと我が家はこれからもこの分岐に何度も立ち続けるのだと思います。そして娘が将来、どんな選択をしていくのかを見守るのも、今の私の大きな楽しみです。
何より、世界のどこにいても再会できるICUHSの仲間がいることは、私にとって大きな支えであり幸せに思うことです。これからも、同じようにさまざまな分岐を選びながら生きる友人たちと再会できることを楽しみにしています。
