高校卒業から1年が経つころ、このエッセイリレーのお誘いを受けた。この間まで紛れもない在校生だった私が卒業生として何かを語ることは早すぎるのではないか、と最初戸惑いかけたけれどそんな私も大学2年生は目前で、もうあの学び舎の中の⅔は顔も名前も知らない後輩なのだと考えると、自分がれっきとした卒業生であることを実感した。
この拙いエッセイが、ふと目にしてくれた方々、そしてICU高校卒業生として続いていく私の人生の中で小さなヒントになることを願って綴ろうと思う。

iPhoneにはジャーナルというアプリがあり、日記のように使うことができたり、その日の気分やお出かけ先の記録を残したりすることができる。何か書こうと思って開いたアプリに、

「最近感じた人生のささやかな喜びを記録してみましょう」

と提案された。普段、執筆の書き出しをサポートするために出てくるこんな感じの提案たちの中でも、これは私にとって、特に意味のあることに感じられた。私のお気に入りポイントは、ささやかな喜びを感じられたことの素敵さはもちろんなのだが、それに加えてささやかな喜びを探そうとするその営み自体に、なんだか胸を打たれたような気持ちになった。
「ささやかな」ってなんだろう。大袈裟じゃなくて、そっとそばに現れるもの?目を凝らさないと気づけないようなもの?きっと、それを気付けることでほっこり安心できて、満たされるようなものなんだろうなって思った。
例えば日常の中に99ある良かったことに対して、1の悲しかったことがあるとする。すると私の心の中はたった1の悲しかったことにたくさんの思考を奪われてしまうことがよくあり、99の大きな存在が萎んでいってしまうような感覚に陥るのだ。こんな時「ささやかな幸せ」に目を向けられたらどれほど自分の心に爽やかな風が流れ込むだろうか、と考える。今だって、目の前にあるあらゆる課題に追われて、様々な予定を詰めて余裕のない日々、焦るように寝て起きてを過ごす日々、私が「ささやかな幸せ」に目を向ける余裕がない理由はいくつも思い浮かぶけれど、ふと自分を取り巻く温かい存在に改めて気づけたその瞬間、心から湧き出る感謝と、自分はその存在に恩返しをするためにまっすぐ生きるんだという使命に満ちた充足感をもたらしてくれる。
3日後、1週間後、このエッセイのことがまるで関係なかったかのように慌ただしく生きている私がいるかも知れないが、ちょくちょく見返して、その度確かな温度を取り戻せるようなそんな人間でありたいなと思う。あらゆる場面で思い出してほしい。「最近感じた人生のささやかな喜びを記録してみましょう」。