ここ数年、コロナが流行ってから思うことは、時間が経つのがものすごく早いなと思う。と同時に高校時代の記憶も懐かしいものに変わっていくのもなんだか寂しいものである。久しぶりに自分のことについてちゃんとした場で語るので、つたない文章かもしれませんがお付き合いください。

思い返してみると、ICUHSではさまざまなことを経験することができ、自分自身もいろいろと経験させてもらった。だが、それに気づいて行動に移すのが少し遅かったのではないか、1年生のうちからいろいろ手を出してみればまた違った世界を見れたのではないか(あのときバレー部があるからとロック部の誘いを断っていなければ…)と今でも若干心残りではある。というのも、私は3年生の6月ごろまでは学業と部活という高校生がメインで取り組むであろうトップ2に打ち込んでいた。特に部活は割とガチで練習に取り組み、休日にはOB戦や練習試合も頻繁にあった。さらに、そこで部長を1年間務めたということもあり、高校生活の記憶の中でも濃密なものがたくさんある。ここで、このまま部活の話…ではなく引退後半年ちょっと自由にできる時間があり、そこでICUHSだからこそ経験したことを少し紹介したい。

ちょうどこのエッセイを書いている時期、そう高3で卒業間際のころ、私は卒業ライブの企画・運営に奮闘していた。なぜ、そんな日々を送っていたかというと、事の発端は高3の夏休みに帰り道が同じ方向で仲が良かった友達と三浦半島に遊びに行ったときであった。そのとき電車で移動している最中に卒業ライブについて話題になったが、その時点ではぼんやりとして終わった。月日が経ち高校最後の学校祭の後夜祭のとき、その年は一観客として観覧していた。実はその前の後夜祭では後夜祭部として照明をやり、演者さんやPAの方々が奮闘している舞台裏を見ていた。そして、高3の後夜祭ではバンドを結成してオーディションを受けたが落選し、(中庭ライブで演奏することができたが、)体育館でパフォーマンスをすることはできなかった。その上での観覧でありその年の後夜祭に関わることができなかった悔しさのようなものがあった。このようなことがあり、後夜祭後に大舞台に関わりたいなという思いが出てきて、卒業ライブが浮かんだ。自分自身、前に出てアクティブにやるタイプの人ではないのだが、1年生のときのロック部の誘いを断るなどやらない後悔を今まで多く経験していた。その二の舞にならないようにと決心し、後夜祭が終わった後、18時42分に三浦に一緒に行き、アクティブでPAでもあった彼に卒業ライブに関わりたいと連絡した。こうして彼を中心に卒業ライブを企画することとなった。

いろいろ紆余曲折もあり無事に開催することとなったが、個人的には自分自身への評価はストイックにしているということもあるが、卒業ライブの企画、運営を評価すると60点くらいかなと考えている。卒業ライブは体育館を長時間に使うこともあり大きな舞台となるので、企画を通すことから大変なことであった。そして、生徒会企画もライブ前にありリハーサル含め限られた時間でかつより多くの人に出てもらいたいという我々の思いもあり限界を超えてしまっているスケジューリングとなってしまった。その中で予測してなかったようなトラブルもいろいろとあり、段取りがうまくいかなかったりリハーサルの時間が伸びてしまったりなど関係各所に多大な迷惑もかけてしまった。本番当日までうまくいくか不安がある中での日々であった。

最後にこの企画を承諾して頂いた学年団の先生、限界ギリギリのタイムテーブルの中で時間内に収めてくれたPA、照明係、演者、そして何らかの形で関わってくれた方々には感謝しかありません。本当にありがとうございました。

そして、このような企画ができること、アクティブに活動できることはICUHSの魅力の一つであり、自分自身一つのターニングポイントとなっている。この1年間は目の前のことで精一杯な日々であったが、今後幅広く活動していきたいと考えている。果たしてどんなことをしていくか、それはまた別の機会で…