こんにちは、24期の三角美代子です。1年半ほど前に夫になった健朗からバトンを受け取りました。24期のエッセイが始まってすぐの頃、あいこから教えてもらってみんなのこれまでの色々を読んでいて、もう高校卒業から20年以上が経っているだなんてまだ信じられません。
ICU高校時代は、片道30分の自転車通学で、毎日学食のごはんを食べて、部活は袴が履きたいという理由だけで剣道部で、なんだかとてものびのび過ごしていました。学校環境は自然が多いし、友達の育ってきた環境がそれぞれだから、違いをそのまま受け入れていてなんでもありだよねという感じが強く、心地よくもとても刺激的で楽しい高校時代を過ごせたとICUには感謝しています。恩師の高柳先生には高校在学中と、あと卒業後しばらくしてからICUで職員をしていた時にも本当にお世話になりました。ICU退職のご挨拶の時にいただいた「違いは豊かさです」という温かい言葉はずっと大事にしています。
高校を卒業してICUに入学、その後別の大学院に行ってからPR代理店で6年、そのあとまさかのICU(大学)で職員として働いて7年。そしてこれもまさかの鈴木健朗と結婚してからICUを辞めて、去年はフィリピンに滞在、今はセネガルの首都ダカールに来ています。セネガルの治安はほどほどに良くて一人でも歩き回れるエリアに住んでいます。人口密度が高くて渋滞がひどいことにはそんなに驚きませんでしたが、驚いたのはサハラ砂漠からの砂塵とPM2.5が混ざり合って12月から3月頃までは大気汚染がひどいこと。どれだけ悪いかというと、世界主要都市の大気汚染度ランキングで、ダカールは日によっては世界ワースト一位になるほどです。それ以外はなかなか快適に過ごしています。もう一つ、何より驚いたのは、今住んでいるダカールのマンションの日本人が全員ICUの卒業生だったこと!私達の他に日本人がもう2人いて、1人がICU高校と大学の卒業生、もう1人がICU大学の卒業生でした。2人とも20代後半なので時期は全く被っていないですが、あっという間に親近感。頼りになる存在です。
セネガルの共通語はフランス語。英語はびっくりするくらい通じません。セネガルに来るまでフランス語はゼロの状態だったので、今はフランス語学校に通って超基礎レベルから学んでいます。学校は家から歩いて10分のところにあって、平日朝9時からの授業が毎日。クラスには、日本人は私ひとり、あとは中国、アメリカ、ナイジェリア、エチオピア、レバノン、トルコ、ボスニアからで結構いろいろ集まっています。セネガルでも中国の存在感はすごくて、クラスで一番多いのも中国人だし、ダカールの中でもいくつも中華系スーパー、ホテル、レストランがあって、歩いていると大体ニーハオと声をかけられます。フランス語がひと段落したら、ローカル言語のひとつであるウォロフ語も少しできるようになったらもっと楽しいだろうなと夢見ています。
日本食レストランはいくつかあって、日本人が経営しているちゃんとしたところもありますが、スーパー等ではほぼキッコーマンの醤油しか手に入りません。でもありがたいことにセネガルは米食文化で、国民食は「チェブジェン」という魚(か肉)と野菜の炊き込みご飯。他にもピーナッツペーストを使ったシチューの「マフェ」や、玉ねぎとレモンのソースをかけたグリルチキンの「プレヤッサ」等もごはんと一緒に食べます。パラっとした長粒米が多いですが、ジャポニカ米に似たお米もあるので、どれが一番美味しいかスーパーの棚の中から模索中です。めちゃくちゃ辛い唐辛子はありますが、セネガル人は辛いのが得意じゃないので料理も辛くなく、食べやすいのもいいところ。セネガル料理は手間がかかる料理が多いようですが、何か一つくらいは作れるようになっていたいところです。豆を発酵させた本当に納豆の香りがするネテトウというものもあり、それを使った美味しいスープもあるので奥が深そうです。ちなみに去年いたフィリピンでは、フィリピンの人に教えてもらったクックパッド的立ち位置のPanlasang Pinoyというサイトを参照しながら、ソウルフードであるアドボ(豚肉もしくは鶏肉をお醤油とお酢で煮込んだもの)やティノラマノックというチキンスープをよく作っていました。別の国民食でシニガンという酸味のあるスープも、料理上手なフィリピン人にとろみが出るタロイモを使うことだよと教えてもらったら劇的におかず感のあるスープになって感動。こんな体験をセネガルでもしたいなーできるかなーと思っているところです。
それでは次は、同じクラスで同じ部活だった郁美にバトンを回したいと思います。卒業後なかなか会えていないけど、ますます格好良さに磨きがかかってるはず!お互いの帰国のタイミングで会えるの楽しみにしてるね。