カリブ海の島国バルバドス、ヨーロッパの陸の孤島ボスニア・ヘルツェゴビナの帰国生である私は、同期に同じ国から来た人がいない生徒としてICU高校に入学。私が住んでいた国には日本人学校なんてものは無く、帰国生の知り合いに同じ中学から来た人がいるのを見てちょっぴり羨ましかった。高校に入学してから、家族が帰国するまでの間は1学期間だけ第2男子寮にお世話になり、先輩や同期との充実した時間を過ごすことができた。コロナ渦ということもあり、寮の仲間とはみんなでこの逆境を乗り越えるサバイバル的な意識がありつつも、だからこそ芽生えたお互いの生き方に出会える貴重な機会だった。週末になると寮を追い出されて身元引受人のところ(片道2時間以上の割と山奥)に帰った際には毎回渓流釣りをしていた。寮を出てからも、44期の2男で組んだバンドこと「Official 2DAN Dism」に誘ってもらい、卒業ライブまでキーボードをやっていた。

さて、そんな私がICU高校を選んだ理由は「どうぞのいす」の作り方を学び、自分も実際に作る人になりたかったからだ。「どうぞのいす」とは、親に遠い昔読んでもらった絵本であり私が今でも大切にしている考え方である。「どうぞのいす」の上には色んなものが置いてある。そこにやってくるどうぶつ達は、椅子の上にあるものを貰う代わりに次に椅子にやってくる「他の誰か」の為に自分が持っている何かを椅子の上に残していくというストーリー。恩送りという言葉に若干似ている。

小4で初めて日本を出て引っ越したバルバドスでは様々な「どうぞのいす」に出会った。例えばコミュニティーバンド。日本で小学生だったころに始めたトランペットを、現地の学生や社会人が集うバンドに参加し地元の人に音楽を届けるということができた。もう一つの椅子は美しい海。常夏の島では段々と島の観光名所をコンプリートしてしまうと、暇なときに行くところが海しかない。私はバルバドスでサーフィンを学んだ。海の上でボードに跨ってサーファーと話をしたり、その時にしか出会えないような波に沢山乗った。時々開催される週末ビーチクリーニングに参加し、年々海水温が上昇して大量発生するシーモスの除去作業に参加することもあった。置かれている椅子から何かを受け取り、自分が次の人のために何かを送る上では、自分が積極的に環境に参加し動くということが大切であることを学び、かくしてバルバドスでは「どうぞのいす」を創る一員に参加できた。

中2のとき、ボスニア・ヘルツェゴビナに親が転勤となり家族で引っ越した。この国の「どうぞのいす」は何か違った。かつてはユーゴスラビアの紛争が勃発し激戦区となり、終戦後の今でも、言葉、民族、歴史と様々な複雑な問題が絡み合う地で「どうぞのいす」を創り動かすためには、私にはまだまだ現地の彼らが抱えているものを理解するために、沢山のことを学ばなければいけないと感じた。

そんなときにICU高校と出会った。ICU高校もまた「どうぞのいす」だと感じた。世界各地から来る人や先生との出会いを通してまた自分も何かを残していけるのではないか。今度は自分でも新たな「どうぞのいす」を作りたいと思った。

ICU高校に入って一つ私が他の仲間と共に立ち上げた「どうぞのいす」はICU高校模擬国連同好会である。模擬国連とは学生が各国の大使を代表して、実際に国連で話されているような様々な議題を自分が代表する国の立場になって議論し、スピーチや交渉を通して自国の国益を目指しつつも国際社会全体にとっても意味のある決議案を作成し投票にかけるという活動だ。

模擬国連(Model United Nations)では自分が知っている国の大使を任命されるとは限らず、聞いたこともないような国を担当することになったりして自分の世界地図のページが増えた。日本全国から高校生が集まる会議での出会いについて話すと、快適なIsolated Crazy Utopiaをあえて一歩踏み出すことによって学校の垣根を超えた本当に面白い人達に出会える。

ICU高校でも模擬国連をやりたいという同期を見つけ、模擬国連部のある他校を度々訪問して、部員やその顧問の先生に相談しICU高校でできそうな具体的な活動内容を考えた。最終的に「世界地図を広げる」、「目的意識を持つ」、「自分を知る」の3つを主軸にした活動をすることに決めた。ICU高校で新しく部活動を創設することは、顧問探しを含め果てしなく険しい手続きを必要としたが、嬉しいことに同期や後輩が実際に沢山会議に参加してくれて、その甲斐もあって何とか先生たちを説得させて手続きが進み2024年度の高校の学校案内にやっと模擬国連同好会の名前が載った。立ち上げに参加してくれた仲間やそれを理解してくださった先生たちには本当に感謝している。

高校を卒業してから大学は隣のICUに進学し、最近ではワンダーフォーゲル部(山岳)や照明委員会で新たな「どうぞのいす」作りの生活をしている。

最後とはなるが、私が高校3年間で1度も学校を休むことも遅刻をすることも無く、毎日行きたいと思えるような高校生活を作ってくれた仲間や先生との出会いに感謝してこのエッセイリレーのバトンを次に回そうと思う。