高校ができて4年目の15歳の春。(たぶん)20代の先生が担任となった2組Aセットで仲良くなった女子はショートカットで綺麗な顔立ちながら口を開くと毒あるひと言でピリッと周りの空気を変える黒田と、キャロットケーキを作らせると絶品と女子力高いが、容赦なくツッコミをする宇田が入ると言うので、じゃあという流れで器楽部に入った。鼓笛隊と思って入った器楽部は、1930年代後半にグレン・ミラーやベニー・グッドマンとともに人気を博した「茶色の小瓶」「イン・ザ・ムード」「シング・シングシング」「ムーンライト・セレナーデ」「A列車で行こう」などスウィングジャズを演奏するビッグバンドだった。

81年といえばマドンナのデビュー前。クール&ザ・ギャング「Celebration」やホール&オーツの「Kiss on My List」が流行っていた時代。映画『スウィング・ガール』じゃないけど、ジャズって、スウィングってなんだべの世界。通常はワンツーのワンで拍子をとるところをツーでアクセントをとるスウィング。最初はわからず、ひたすらレコードを聴いてドラムのバチをパッドで叩く練習の日々。模索しながらしばらくすると不思議と音楽の様相がガラッと変わって聞こえる瞬間がきた。ホーンやピアノ、ギターと十数人で奏でるメロディは力となって快感へと昇華するスウィングハイの感覚。新たなる音楽の出会いだった。

課外活動はさらにジャズを理解しようと探究心旺盛に背伸びをする。それは先輩から教えられた吉祥寺に数軒あった「ジャズ喫茶」。ミルフィーユのケーキセットがあるジャズ喫茶が好きだったけど、黒田やおのゆう、林と中西は独自のアドリブ解釈で奏でるマイルスやコルトレーンがかかるジャズ喫茶へと誘う。真っ暗な部屋で、煮詰まった苦いブラックコーヒー(大人だ!)1杯、大きなスピーカー前で黙々と頬杖ついて聴く。不可解で難解すぎるモダンジャズ。ティーンが集まってじっと聴くなんて異様だったよな。難しすぎて落ち着かず端正な顔立ちを見ていると「なんだよ」と黒田は返す。黒田は理解していたのかな。

映画の台詞に「人には2種類に分けられる。それはスウィングする者とスウィングしない者だ」とある。バカなことで笑い毒気を吐きながらクール(といっても子どもなりの解釈)を装って背伸びしたスウィングの日々。そのぎこちないスウィングは演奏とともに武蔵野の空高く消え去ってしまい、もう二度と取り戻すことはないー。