さて、バトンを受け取ったはいいものの、何を書こう。そう思ってすでに2カ月が経ち、前の執筆者であるみなみには心配をかけた。申し訳ないばかりである。

昔は文章を書くことを生業にしたいと思うほどに好きだったし、書きたいことにあふれていたというのに今はどうだ。筆が進んでいない。

今も、時間制限をかけながらこの文章を書いているが、まるでタスクである。チャート式の方が気楽かもしれないと自宅のPCの前で頭を抱えているなんて、あの時の私が聞いたら目をむくだろう。

文章だけではなくて、ここ最近はほとんどのこと、例えば趣味や家事まで億劫だった。

あの森を離れて8年が経つが、私はびっくりするほど仕事に邁進してきて、世間でいうバリキャリに近しいものになっている。あり得ないほどの熱意と集中力で仕事にのめりこんでいたのだ。

小説ではなくて、ビジネス書。文章はリズムや表現より、端的に意図が伝わるかが優先事項になった。

やればやるほど達成感が得られることに寝食を忘れて夢中になった。私はRPGをはじめとしたゲームをよくするのだが、その高揚感にも似ているかもしれない。

そんな私だったが直近の仕事でついに糸が切れてしまい、試しに1カ月ほど休暇を取ったのだが、なんだか急に呼吸が楽になった気がしている。休暇の間は、では何をしていたのかというと、ひたすら引っ越し作業をして、家族とごはんを食べ、友達と飲みの予定を入れまくった。おいしいものを食べて誰かと話したい。社会人になって友人と会うときは必ずと言っていいほど「おいしいもの」の存在があった。

一人暮らしをしていると、人と一緒にご飯を食べる面倒さも、楽しさも少しずつ忘れていってしまう。かくいう私も、仕事をしすぎて食事の時間が取れないばかりに、休暇前は栄養食ばかりを食べていた。

惣菜パンやおにぎりなんかはいい方で、ぼそぼそした食感のクッキー?ビスケット?やら、パンのようなもの。おいしいのだが、そういったものはたまに食べるからおいしいのであって、毎日だと飽きるし肌も荒れてくる。
さらに、最近のコンビニのごはんはとてもおいしいが、満足に食べようとすると1,000円を超えてくる。物価高がせちがらいのはさておき、そうやってあまりに不摂生を送っていたからか、なぜか太ったうえに、胃腸が痛んで仕方なくなってしまった。

そうやってようやく、自分があまりに自身の健康をないがしろにしていたのだと知った。友人から怒られそうな話ではあるが。

 

それからはたくさんおいしいものを食べた。家で自分で作ることもあったし、作ってもらったものを食べることもあった。(因みに、私の得意料理はだし巻き卵である。)

昼から友達と乾杯して結婚祝いをしていたこともあったし、おしゃれなカフェで近況報告をしていたこともあった。

たくさん睡眠をとって、栄養を取ると自然と「なんで自分はこんなに仕事に熱中していたのだろうか」と考えるようになった。

あまりにも熱中するあまり、出発点である「仕事の楽しさ」さえ忘れてしまっていたような気がする。いつのまにか、努力=つらいものという考えに固執して、耐えなければならないと思っていなかっただろうか?私のそもそもの努力の原動力は、「知りたい、わかりたい、できるようになりたい」という、ひどく単純なものであったはずだ。いつの間にか小難しいことを考えて、単細胞な脳のキャパを超えていたのだろう。具合も悪くなるはずだった。

ストレッチや成長痛は必要だが、それは努力の方向性が正しい場合である。私は「努力」に逃げて、正しく頭を使えていないまま走っていた。成果がでるわけがないから、苦しいはずだった。

こんな姿をかつての英語科の恩師が聞いたらなんというだろうか。”You are aware that you are 憐れ”というのは、当時恩師から教わったフレーズであるが、本当によくできている。

高校の思い出たちも、なんとなく、食べ物の記憶と紐づいている気がする。

夏に食べたアイスとか、学食の大盛りのパスタとか。そうそう、当時の有馬先生が作ってくれたカスタードの味も、うっすら覚えている。

そういえば先日ひさしぶりに高校の文化祭を見に行ったのだが、あまりにも高校が綺麗になってたことも驚いたし、食堂がSuica対応になっていた。

小銭ではないのか。そうか、森もついにIT化の波にのまれたんだな。と変な感動をした挙句、同行者と一緒に、結局購買で買ったパンを食べた。でも蒸しパンの素朴な味は、変わったような、変わってないような感じだった。

あの頃と比べて、今の私には到底面白い文章など書くことはできないし、小難しいことばかりを考えてしまうようになったから、まっすぐと努力もできにくくなってしまった。

それでも、面白くない文章ばかりを書くようになったとしても、それはそれで成長なのかもしれないな、とやっと埋まっていく原稿を前に私は安堵している。

最後に。ともに三組でショートストーリーを書いてきた飲み友達で、文化祭の同行者である後続の高倉千波をも、エッセイを待たせたために随分とやきもきさせたことをここに謝罪したい。

なんだか謝ってばかりだが、充電期間だった、ということで。