44期の卒業を目前に、今年も卒業ライブが開催されるそうだ。43期である私の観戦は当然叶わないものの、ちょうど一年前に私たちの卒業ライブで演奏したクリープハイプの「栞」を44期の後輩が今年も演奏してくれるということで、非常に嬉しく思った。

 今でも、クリープハイプの「栞」は今と当時の私たちを繋ぐ特別な歌だ。あの時の友達とカラオケに行く時はいつも決まって「栞」でトリを飾る。私たちはきっと、これから何年、何十年先になっても、こうやって一堂に会し、「栞」を歌って、あの時のことを何度も思い出すのだろう。

 しかしあの時、私たちの高校3年間。美談として語るには単調すぎたかもしれない。コロナのパンデミックにより、私たちの入学は画面越しに始まった。登校が始まってからも、中学の頃に憧れていたような高校の行事は軒並み縮小、キャンセル続きで、私たちの日常は常にソーシャルディスタンス越しだった。コロナさえ無ければできたあれもこれも、私たちの代だけ何もできないで空っぽになってしまった。それが可哀想だという人々もいる。私たちにとってはそれが当たり前だったから、私たちがコロナで何を失ったかのすら実感を持てないまま今に至る。

 当時の私は自分には何もないという無力感に苛まれていた。周囲のICUHS生が持つ「多様なバックグラウンド」に、日本で生まれ育った十数年間という自分の平々凡々なバックグラウンドが含まれている気がしなかった。入学前からわかっていたけれど、同級生のペラペライングリッシュに打ちのめされ、もしくは英語以外の言語を習得していることが決して珍しくないICUHSの環境に、私の自尊心は打ち砕かれた。英語を強みとして国内の地元中学校から入学してきた一般生が陥りがちなアイデンティティクライシスであろう。さらには、ICUHSの生徒はエネルギッシュな人が多く、一般だろうが帰国だろうが語学以外に関わらず何でも成し遂げてしまう。当時の私は辛うじて中学の頃から続けてきたドラムで音楽活動をすることを夢見ていたが、それもコロナによる部活動の収縮で満足に行かない。どんどんドラムへのモチベーションも下がっていく。特出した成果も何も成し遂げていない。そして、コロナを言い訳に何もできないと嘆く自分が1番醜くて仕方なかった。

 それでも、音楽を辞めたわけではなかった。コロナの影響が少しづつ治っていくのと同時に、細々と音楽活動を再開し始めた。そして、音楽を通して、私は生涯の友人たちと出会うこととなる。私たちの日常は様々な制限があって決してインスタ映えするような鮮やかな日々ではなかった。それでも、彼らと過ごした高校3年間の日常がかけがえのないものであることには変わらない。アコギを持って集まり、皆で音楽をしたN棟とW棟を繋ぐ2階の渡り廊下には、今でも音楽が響いているのだろうか。

 そんなささやかな日々を重ね、卒業ライブの開催に際し、私の友人が「最強」の音楽メンツを揃えてバンドを結成した。私がドラムとしてグループラインに入っていたことの光栄この上なかった。「栞」は私が以前からやりたいと言い続けてきた曲だった。ずっと夢だった理想の音楽活動を、高校生活の最後の最後でやっと叶えられた。あの時ステージで浴びたスポットライト以上の輝きを、今後の人生で浴びることはあるのだろうか。いや、浴びてやろう。いつかあの時のように、あの時以上に輝いてやろう。あの時の熱量が今も忘れられない。時々皆と集まり、あの歌を歌う時に再燃する。

 あの歌を、今度は一個下の後輩がまた演奏する。私の特別な歌が彼らの特別な歌となり、継承されることにエゴイスティックな喜びを感じる。彼らもこれから卒業をし、進路を違えた後、再び彼ら同士で集まる時にあの歌を歌うのだろうか。「ありがちで退屈な」日々を懐かしみ、「ちょっといたい、もっといたい、ずっといたい」と願い、「元気でね」と言ってまた別れるのだろうか。不完全なあの日々を愛おしいと思えるあの歌を、数日後に同じステージで演奏する彼らに心のうちでエールを贈る。先輩面して聞きに行きたいカッコ悪い思いは抑え、今はただ彼らの演奏の成功を祈り、そしてこれから卒業する44期に少し早いお祝いを綴る。44期の皆さんの門出が自分の人生にとって愛おしい節目となり、その後の人生が素敵な出会いに溢れたものになりますように。