ある日、ICU高校の松坂教頭からLINEが届いた。13期生のトップバッターとしてエッセイリレーに執筆してほしいという内容だった。第一走者としての責任の重さが元陸上部の私の頭をよぎり、咄嗟に「う〜」と声が漏れた。しかし、そのLINEの送り主は同じ通学路で、部活帰りの帰路を共にした一学年上の「松坂センパイ」。ノーとは言えず、僭越ながら、第一走者役を引き受けることにした。
 長年、母校を訪れる機会もなく、ようやく2021年に20数年ぶりに、同期でICU高校の教員の網嶋さんの計らいでC-Weekの講師として母校を再訪した。キャンパスに足を踏み入れると、懐かしいICU独特の空気感に包み込まれた。中庭に進むと一本の木に目が留まった。教室の前の思い出の小さな木が大樹へと成長していた。細い幹の木陰でお腹を抱えながら笑い転げている自分達、四季折々の木漏れ日、そんなごく当たり前の「ICUでの日常」の光景が蘇ってきた。その光景の余韻に浸りつつ、時の流れを物語る目の前の大樹を見つめながら、自分の軌跡を振り返った。その時、自己形成の原点がここICUHSだったのかと改めて領得した。
 私は幼少期の大半をロンドンとニューヨークで過ごした。のびのびと過ごし、努力が結果へと結びつき、充実した幼少期を送った。帰国後、入学した国立の中学校では、課外活動などが推奨されていた現地校とは異なる受験校特有の「勉強ファースト」の校風にどこか違和感を感じた。その後、進学したICUHSでは、同じような葛藤や経験をした帰国子女も多く、それまで感じていたどこか窮屈な思いから解放され、笑いあり、涙ありの有意義な高校生活を過ごした。また、個性豊かな先生方の独特な世界観に感化され、私達生徒も自由闊達に青春時代を謳歌することができた。その後、留学先のスタンフォード大学では世界中から集まった奇才・天才に囲まれ、異なる価値観が共存する世界の面白さを知った。
 90年代半ばのスタンフォードでは、日本と異なり、インターネットが既にごく日常的なツールとして使われていた。私もその利便性を実感し、これは何か大きな変革の前兆に違いないと感じた。その直感に動かされ、大学卒業後、米大手IT企業シスコシステムズ社に就職し、再び渡米。目の前で次々と歴史的変革が起き、「ドットコムバブル」真っ直中のシリコンバレーの勢いを体感した。
 同社で、国連開発計画や米国国際開発庁と提携し、途上国の発展に必要なIT教育環境の構築、ITエンジニアの育成を支援する仕事に携わった。中でもインターネットどころか電気など基本的なインフラが整っていない後発開発途上国での展開は、マニュアルなど存在せず、忍耐力と想像力が極限まで試された。このやりがいを感じる仕事を通して、担当していた約70カ国のほとんどを訪れた。ブータンでは標高約3000mの急峻な山肌に佇む世界遺産の僧院を訪れ、ガラパゴス諸島では海イグアナと一緒に泳ぎ、ウクライナでは大臣と盃を交わした。また、国際機関や各国の政治経済のトッププレイヤーとの対話の機会もあり、見聞を広める機会にも恵まれた。
 しかし、次第に「現場に入って、そこで暮らす人たちの顔が見える活動がしたい」という思いが強まり、約10年間勤めた会社を辞め、それまでの経験を元に、2006年にバングラデシュで1社目となる開発コンサルタント会社を起業し、次いで2010年にパキスタンで同種の2社目を立ち上げた。現在もその代表を務め、その本業の活動を続ける傍ら、ミラクルズ財団を立ち上げ、社会的弱者の経済的自立を支援するペーパーミラクルズという社会事業を始めた。
 エンジニアでもない新卒の私が渡米し、専門性の高いIT業界に入る。安定した収入が約束されている仕事を辞め、ベンガル語もウルドゥー語も話せない私が慣習も違う途上国で起業。ペーパーミラクルズに至っては、不要紙を丸めてペーパービーズを作る、ただそれだけのことを事業にする。この他に、バングラデシュ時代に培ったドライフルーツのノウハウを活かし、食糧不足、栄養失調が深刻なパキスタンで「サニーミラクルズ」を立ち上げ、海洋プラごみ削減の一方策として使用済みの横断幕を再利用して「ミラクルバッグ」を作る活動も始めた。
 「馬鹿げている」と思う方がむしろ自然なこれらの試みも、地道に活動を続け、やがて弱者の経済的自立に寄与する社会事業として認知されるようになった。日本でもNHKの「おはよう日本」、「国際報道」や大手各紙に取りあげられ、内閣府主催の「アジア太平洋の輝く女性」に講師として登壇するなど、活動を紹介する機会も増えた。
 私のこだわりでもある「ダイバーシティ」と「インクルージョン」はICU時代の経験に根差すものであり、今日、社風として定着しつつある。この環境の中で、異なる発想の相乗効果もあり、イノベーションが生まれてきた。 “The ones who are crazy enough to think they can change the world, are the ones that do.”というスティーブ・ジョブズ氏の言葉通り、クレイジー達が次から次へと難題を突破していく様子を20代に目の当たりにした。比較にもならないが、紙であろうと、プラごみであろうと、今またこうして、一見馬鹿げている挑戦にスタッフと共に取り組む毎日は実に楽しい。
 50歳の節目を迎える今日、ICUで学んだことが私のライフスキルとなっていると感じる。数々の挑戦に取り組む私の勇気と自信、スランプから抜け出し、1秒更新できた時の喜びが、その後の私の励みとなっている。人生の岐路に立った時、先入観に縛られることなく「自分らしい選択」とは何かを問い、自分の直感を信じて、「正しい」と思う道を選択してきた。多様性を享受し、オープンマインドな姿勢を基本としてきたことにより、たくさんの思いがけない出会いや発見もあり、かけがえのない経験をすることができた。
 これから先何が待ち受けているかわからないが、また、10年後、20年後の節目に、あの思い出の木で友人達と語り合いたい。
 次のバトンは汗、涙を共に流した陸上部部長「たみよ」に託す。バトンタッチ!