ご無沙汰しております。
原ゆうまからバトンを貰いました、32期の武田雄樹です。
ええっと……何から話そう。僕は今、脚本を描いています。脚本…と言っても馴染みのない方もいますよね。ドラマとか映画の台本のことです。場面と人物の動きと台詞を描いて、物語に構成するということをやっています。映画や演劇に興味があったわけでもない自分が、なぜ今になって脚本を描いているのか……というのは話せば長いので割愛しますが、30才を目前にして、コンペの結果に一喜一憂したり、創作論をアテに酒を飲んだり、ああでもないこうでもないと試行錯誤しながら、それなりに楽しくやっています。
脚本で描くのは、人の心です。好意や羨望、嫉妬や羞恥……あらゆる心の動き、気持ちの揺れを映像表現で紡いでゆきます。そんな脚本を勉強していると、自然と人の感情に敏感になっていくというか、 “認識できる感情の粒度” が細かくなっていく感覚があります。感識(=感情の識字=エモーショナル・リテラシー)とも言うらしいのですが、自分や人の心の動きを感じ取り、それを認識し、表現する力が培われていくような手応えがありました。つまりは、脚本を学んだことで少しだけ大人になれた気がするということです。人の気持ちを細やかに想像できるようになった、というか(遅すぎる)。それは思わぬ副産物であり、描いていて良かったなと思うことです。
しかし、そういった恩恵がある反面、困ることもあります。それは、過去の自分の言動や振る舞いを思い出しては、どうしようもなく恥ずかしくなってしまうこと。認識できる感情の粒度が高くなった分、あの時の自分はああいうことで腹を立てて余計なことを言ってしまったんだなとか、そういうことまで分かるようになってしまった。特にICU高校にいた頃の自分を振り返ると、目も当てられない愚行ばかりで、たまに答え合わせのように思い出しては発狂したくなります。
例えば、在学当時、僕はダンス部に所属していたのですが、そのダンス部は代々部活を作り上げてきた先輩方や伝説の顧問・ひろみんの指導、そして才能溢れる同期のおかげで、公演を打つたびに大勢の人に見にきてもらえるありがたい環境がありました。しかしながら、僕はそんなダンス部にいるというだけで何故か気が大きくなり、クラスでも何となく偉そうで、買わなくてもいい反感を買っていて。そんな当時の記憶を思い出し、自分に自信がなくて虚勢を張ることに必死だったんだなと認識した途端、めちゃくちゃイタい奴だったことに気付き、うわああああああああーーーーとなって布団を被るまでがセットです。
こうなると、気軽にICU高校での日々を振り返れなくなってしまいました。できれば、自分の愚かしさに気付かないまま、都合よく素敵な日々だけを思い出していたかったなと思います。ただ、そんな自分本位で幼なかった自分と仲良くしてくれた友達がいたことは事実で、それは一通り恥ずかしさに悶えた後に、じんわりと嬉しくなることでもあります。ICU高校の友達、寛大すぎないか…??と。改めて感謝の気持ちが湧き起こります。まあでも、このエッセイで私は過去を省みていますと書くことで、当時の愚行を精算し免罪符としようとしている自分、やっぱりそういうとこだよな、とも思います。もう仕方ないです。
これからも自分の恥を拾い集めて、描き続けていきたいと思います。
武田雄樹