これまでの錚々たる優秀な12期同級生メンバーからの貴重なバトンを受け取ったものの、ほぼ考えもなしに流されるがままに生きてきたゆるい私が何を言わんやと、、
足を引っ張りかねない乱文にも関わらず長文で稚拙なエッセイ、どうかご容赦ください。
読んで頂けたら幸いです。
いきなりですが、ICU高校とその寮生活が、帰国子女である自身が日本で生活をするための最初のクッションになってくれました。
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申し遅れました、12期生の辻合と申します。
リンクに期と名前が書いてありますが、敢えてご挨拶を。
高校の同級生の殆どは雄吾(ゆうご)と呼んでくれます。
小中学の殆どをフランスはパリにある日本人学校で過ごし、ICU高校卒業後は旅行を除いて一度も海外に出ることなく、今ではいわゆる“システムエンジニア“をしています。
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さて、高校受験のために日本に帰国しましたが、長年海外にいたため、日本の学校に馴染めるか不安を感じていました。
元より変わった性格で、一言も二言も余計なことを口走ってしまう(古い表現ですが)KYな私です。
さらに日本に住んでいれば当然みんな知っていて当たり前のことを知らないわけです。
話題についていける訳もなく、余程友人に恵まれない限りは難しいだろうと。
ですので、とにかく入学する高校では自身の考えは出さないでおこうと、下らないことを受験前に考えていました。
#そんなことは合格できてから考えろと。
たまたま親の勧めで受けることになったICU高校(それまで本校のことを知らず・・・)、今考えるとよく受かったなと。。
過去問も見たこともなく、数学の問題はあみだくじです。
なんだこりゃと。。。
おっと、話が逸れました。
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ICU高校では前述の不安などすぐに蒸発して消え去りました。
何故ならここで出会った人は皆個性豊かで、自分の考えをはっきり言いますが、他の意見を否定するどころか、尊重してくれる素敵な仲間達だったからです。
もちろん、自身のダメなところもはっきりとダメと教えてくれ、まさに「余程友人に恵まれ」たわけです。
そもそも自分を隠すなんて器用なことができない私は、ここでこれでもかと言うほど自分を曝け出しました。
また自分をオープンにしたからこそ、人にはその人が大事にしている価値観があることに気づき、私も例えそれが自分とは異なっても尊敬・尊重できる様になれていったかと思います。
これらは、かけがえのない最高の同級生たち、可愛がってくれた先輩方、寮生皆の母親替わりになってくれた当時の寮母さん、寮のアドバイザーであった伊藤周先生、中でも特に寮の同期、部活のメンバー、クラスメイトがいてくださったからこそ得たものと、ずっと感謝しています。
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このようにして多感な時期を過ごした ICU高校が帰国後初めての学校であったからこそ、自分を隠すことなくオープンで居られることに(良くも悪くも)自信がついて本来の自分が確立、その後の日本生活でもあまり不自由すること無くやってこられました。
冒頭の記載を繰り返しますが、まさに寮を含むICU高校は、私にとって日本の生活への不安を吸収してくれる心地の良いクッションでした。
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最後に余談ですが、妻と学生時代のことを話していると、いつもICU高校の事は楽しそうに話すといわれてしまいます。
仕方ないですよね、実際楽しすぎましたから。