同級生の小川ひらりさんからバトンを貰いました、32期生の杉山航です。拙い文章でお恥ずかしい限りですが、大学入学以来10年以上にわたって参加している秋田竿燈まつりについて少し書かせていただきたいと思います。
秋田竿燈まつりとの出会いは高校卒業後、秋田の大学に進学したことがきっかけでした。入学式のプログラムの一環として、大学の先輩方が祭りを披露するイベントがあり、その迫力に圧倒されたのをよく覚えています。皆さんが「祭り」と聞くと、お神輿を担いでお囃子と共に町を練り歩く光景を思い浮かべる方が多いかと思いますが、竿燈まつりは少し違います。お神輿ではなく、竿燈という魚の骨のような形に組んだ竹の竿にたくさんの提灯を付け、それを一人で持ち上げてバランスを取ります。高さは10mを超え、重さが50kgにもなる竿を手のひら、額、肩、腰などに乗せ、お囃子と共に観客の前で技を披露します。
その後部活の勧誘で先輩に誘っていただいたことがきっかけで竿燈まつりに参加するようになり、まず驚いたのは体育会系の厳しい上下関係でした。それまで先輩との上下関係など全く気にしたことがなく、体育会系という言葉だけしか知らなかった私が大学で一番上下関係の厳しい環境に飛び込んだため、当時はかなり異質な存在だったと思います。初めは何をしたら良いのかもわからず、6人いた同期の中でも特に怒られてばかりでした。先輩への挨拶や言葉遣いがなっていないといった基本的なところから、飲み会でのお酌が遅い、打ち合わせ準備の段取りが悪いなど、数え上げればきりがありません。「なんでそんなことまで言われなければいけないんだ」と思ったことも多々ありました。しかし、社会人になってみると、あの時言われておいて良かったと感じる場面に出くわすことが増え、今更ながら当時の先輩に感謝するばかりです。
もちろん、怒られたことだけではなく、忘れられない思い出も沢山あります。そんな中でも思い出に残っているのが、卒業前最後の祭りです。竿燈まつりは山王大通りという秋田市でも有数の大通りを封鎖し、280本の竿燈で埋め尽くして開催されます。大通りの所定の位置まで移動する間は竿燈を倒して二人がかりで担いで運ぶのですが、すべての竿燈が通りに到着して演技が始まると一斉に立ち上がります。毎年その光景を見ると、「今年も夏が来た」という気持ちになるので特に好きな瞬間なのですが、その年はそれに加えて様々な感情がこみあげてきました。学生最後の祭りが始まってしまった寂しさ、4年間切磋琢磨し合った同期のこと、観客の方が来て良かったと思える祭りにしたいという気持ち、いろいろなことを考えながら、少し複雑な気持ちで竿燈が立ち上がる様子を見ていました。
卒業後は、社会人になってもずっと祭りに携わりたいという思いから、大学の団体から「上米町一丁目(うわこめまちいっちょうめ)」という秋田市の町内に籍を移し、今でも毎年夏に祭りに参加しています。最近では町内の中学生や高校生が増えてきて、教わる側から教える側に、少しずつ立場が変わってきました。それもあってか、以前は観客の前で自分の技を披露したいという気持ちが強かったのですが、今では次の世代に自分が教わったことを伝えていきたいとも考えるようになりました。
秋田竿燈まつりは、毎年8/3から8/6までの4日間開催されています。今年の夏ももちろん参加していますので、ぜひ秋田にいらしてください。
このエッセイが少しでも秋田や秋田竿燈まつりに興味を持っていただくきっかけになれば幸いです。