人生には、「いま、どうしてもこれをやりたい!」と後先考えずに突っ走ってしまう瞬間がある。私の場合、24才と、39才の時に、それが訪れた。

24才。せっかく入った会社を2年で辞めて、渡米した。長期間アメリカで暮らしてみたかったのだ。大学院を受験するほどの気力はなかったので(今思えば、がんばって大学院に行くべきだったかな、とも思う)、日本語クラス助手として大学で働くチャンスにとびついた。約1年間のイリノイ州での暮らしはとても楽しく、日本語クラスの助手のほか、教職員の日本語同好会で講師をしたのも良き思い出として残っている。メキシコやキューバ、ブラジルにも旅行した。当時アメリカやメキシコで知り合った友人たちとは今でもfacebookなどで繋がっている。

39才のとき訪れた転機は、十数年キャリアを積んだ広告・マーケティング業界に別れを告げ、料理教室を始めるというものだった。何回か転職をして、30代中頃から英米資本の広告会社に勤めており、プランニングディレクターとして様々なマーケティング調査をしたり競合プレゼンテーションに加わったり(クライアント先で、他の広告代理店の花形クリエイターになっていたICUHS同期のI君に遭遇して驚いたことも)、アジア・パシフィックリージョン合同調査の日本チームリーダーとしてプロジェクトを率いたり、多国籍な上司や同僚も気が合う人がほとんどで、充実して楽しい日々だった。しかし、仕事は多忙を極め、午前2時まで働いて朝7時に出勤したり、1ヶ月ほとんど休みがなかったりすることもあり、ひどい肩こり・不眠・原因不明の蕁麻疹・PMSなどなど、常に不調に悩まされる日々でもあった。

そんなある日、「You are what you eat」という言葉に出会って衝撃を受けた。その頃の私は、忙しさのあまり日頃の食生活は非常におろそか、外食も多く、朝はオフィスビルの1Fにあったマクドナルド、昼は同じ敷地内の恵比寿三越の地下でパンを買い、夜は同僚と残業ご飯をビル内のレストランで食べ・・・という日も週に何度もあった。You are what you eat という言葉が書いてあったのは、戦後アメリカに渡ってアメリカでマクロビオティックスという自然食を広めた久司道夫氏の本だった。そこには、人間としてバランスのよい食べ方は何かということ、季節や気候にあった食べ方をすることの大切さ、食と身体だけでなく、食と心、食と環境の関係などについて非常にわかりやすく書かれており、私は夢中になって読み、そして、「久司道夫氏が作った、マサチューセッツ州にあるという学校に、マクロビオティックスを学びに行きたい」という強烈な願望が沸き起こった。そして会社を辞めて、渡米することを決めたのが、39才のときだった。同僚たちはとても驚き、別れを惜しんでくれたが、私自身、まさかこんな展開になるとは・・・・とびっくりした。

2003年9月、渡米。アメリカ人の友人のご両親に車で送ってもらい(全くの偶然だが当時NYオフィスにいた私のカウンターパートだった女性のご両親が、その学校のある町の近所に住んでいて、空港まで迎えに来てくれたのだ!)、山の中にある学校に到着した。それから3ヶ月、多国籍のクラスメートたちと共に、玄米、雑穀、野菜、豆、海藻、発酵食品を中心とした自然食の理論と実習、味噌や漬物の仕込み方、東洋医学や東洋哲学の基本などを朝7時からときには夜9時までみっちり学んだ。体重は8キロ減り、いろいろあった身体の不調もすっかり消え、常にイライラ気味だった精神状態も落ち着いた心穏やかな日々。また、個人個人の食生活のありかた(何を選ぶか、どこで買うかなど)が、環境問題やグローバルな社会問題に深く関わってくることなど、それまで全く知らなかった知識も増え、目からウロコが落ちる日々でもあった。

日本に帰国後は広告業界に復職し、会社員として仕事をしながら、学び覚えた自然食を実践して健康に暮らしていく・・・・つもりだったのだが、自分が学んで心身のコンディション向上に役立ち、いろいろなことに目を開かせてくれたマクロビオティックスを多くの人に知ってもらいたいと思うようになり、また師匠である久司道夫氏の励ましもあって、帰国後、料理教室を開くことにした。最初は収入が安定しなかったので、フリーランスでマーケティング調査や翻訳の仕事を受けながらダブルワークでのスタートだったが、その頃ちょうど自然食ブームが到来して生徒数が増え、またマサチューセッツ州の学校の日本校ができて講師として加わることにもなり、帰国後2年ほどして、私は料理教室の講師として一本立ちすることになった。

それから約17年。関わった生徒さんの数は数千人以上になり(高校の友人たちも何人か参加してくれた!)またこの仕事を通じて、会社員時代には決して出会わなかったような方とのたくさんのご縁ができた。アメリカ、オランダ、東南アジア、カザフスタンなど海外で料理教室をする機会もあり、ハプニングも多かったがどれも楽しい思い出となった。パンデミックでいまは中断しているが、日本を訪れる方々にスシ・テンプラだけでない伝統的な日本の健康的な家庭料理(ごはん、お味噌汁、梅干し、季節の野菜のおかずなど)を教える仕事も再開できたらと思っている。

最後に。ICUHSでの高校生活は本当に自分の人格形成にとって重要な3年間だったと確信している。周りがなんといおうとやりたいことはやる、という精神は、この3年間で培われた。パイオニアとして、手探りで、試行錯誤しながら、でも常に思いっきりワクワクしながらの3年間。この高校に入ったというのも、実は最初の大きな転機だったのかもしれないといま改めて思う。